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トマス・エドワード・ロレンスが見せてくれた自分らしい人生を送り、自分らしい死を迎えた姿
はじめに
私は今社会人学生として、大学で経営学を学んでいるが、常に経営者になる前に、自分が自分の経営者になる事が求められ、大学の講義の中で、何度となく自分を知ることを求められているが、毎回違う答えを出しているようでしっくりこない。
理由は、今まで「学校の成績」「有名な起業への就職」「昇進」等の他人の評価軸で自分を評価する事が体に染み付いており、どちらかというと「自分らしさ」とは距離を置いて生きてきたからだ。
特に、私は「老後の生活」を研究するために大学に入学しているので、現在の「自分らしさ」でさえ理解が乏しいのに、数十年先の未来における「自分らしい老後生活」「自分らしい死に方」を理解できずに日々悩んでいる。
そんな中、映画「アラビアのロレンス」を鑑賞したところ、主人公T・E・ロレンスが、短命でありながらも、自分らしい人生を送り、自分らしい死に方を見せてくれていた。
映画「アラビアのロレンス」解説
映画「アラビアのロレンス」は、トマス・エドワード・ロレンス(以下ロレンスと言う)という実在のイギリス陸軍将校が、第一次世界大戦の中東において、オスマン帝国(以下トルコ軍と言う)からのアラブ独立闘争(アラブ反乱)を率いた歴史映画であり、戦争映画でもある。
1962年に公開されたイギリス・アメリカ合作映画で、監督はデヴィット・リーン。主役のロレンスはピーター・オトゥールが演じており、時代的には、1916年10月〜1918年10月の第一次世界大戦中の約2年間。ロレンスが28歳〜30歳の物語である。
映画「アラビアのロレンス」あらすじ
ロレンスは、イギリス陸軍エジプト基地で地図作成課にいたが将軍に呼ばれて新しい任務に着く事になる。
オスマン帝国からの独立闘争を指揮するハーシム家のファイサル王子に会い、イギリスへの協力を取り付ける工作任務である。
イギリス軍は、トルコ軍に占領されているアラブの地をトルコ軍から奪うために、アラブ人の力でトルコ軍からアラブの地を解放した後、トルコ軍の後釜にイギリスが居座る事を計画していたからだ。
ロレンスはアラビアの砂漠を渡り、ファイサル王子に出会った後、ファイサル王子の依頼により、ファイサル王子の部下50人を率いてネフド砂漠を渡り、トルコ軍が占拠する港湾都市アカバを内陸から奇襲し陥落させた。
その後もロレンスはイギリス陸軍からの兵器の補充を受けて、トルコ軍への更なる攻撃をする。
トルコ軍が所有する鉄道に爆弾を仕掛けて機関車を爆破した後、ダマスカスをトルコ軍から解放する事にまで成功した。
しかし、戦闘で疲弊したアラブ人の戦士達はダマスカスの民族議会で暴動を起こし、彼らの言動に失望したロレンスはアラビアを去るのであった。
ロレンスの生き様について。
映画の冒頭で、いきなり主人公であるロレンスが死亡する。自身が乗るオートバイによる交通事故であった。ロレンスの葬儀の参列者は、ロレンスを「偉大な人物」と高く評価するものもいれば「自己顕示欲にまみれた男」と酷評するものもおり、これから始まる映画の主人公ロレンスが「偉大な面」と「自己顕示欲にまみれた面」の両面を持つ者である事を知らされる。
ロレンスの「偉大な面」
映画の前半、イギリス人ロレンスが、アラブ人の部隊とアカバへ侵攻するシーンで、隊員から絶大な信頼を得るシーンがある。
夜間の移動中にラクダから落ちた隊員を、過酷な砂漠での余計な行動は自殺行為だと周りに止められながらも探しに行き、無事連れて帰ってきた。
奇跡的に戻ってきたロレンスを、アラブ人は称賛し、ロレンスを1人だけの部族として認めたのである。
その他、砂漠の案内人に、目的地に着くまでに報酬の品のを渡す事で案内人の心を掴んで忠誠心が向上したシーンや、同じ部隊間の部族間の対立を納めるために自分側にいた隊員を苦渋の決断で殺害したシーンなどで、人の心を捉え動かしていた。
それらの言動があったからこそイギリス人のロレンスが、多くのアラブ人の心を掴み、戦果を上げる事ができた。これが「偉大な面」と評価されたと部分だと理解できる。
ロレンスの「自己顕示欲にまみれた面」
一方、「自己顕示欲にまみれた面」の例として挙げられるのが、ダマスカスの手前で、無抵抗のトルコ兵に略奪、殺傷の限りを尽くして、皆殺しにする命令をしてしまったシーンだ。
その前にも何回か、奪還した街や、襲撃した列車からアラブ人が財宝を略奪しているシーンで、ロレンスは、彼らを制していたが、このトルコ兵虐殺のシーンで、ロレンスは自らも拳銃でトルコ兵を撃ちまくり、最後には血で濡れた刀を持って呆然としている所を仲間に発見される。
前半で、ためらいながら人を殺すシーンとは打って変わって、無秩序に拳銃を打ちまくっているロレンスの姿は別人の様であった。
時に野蛮だとイギリス人から称される、アラブ人の心を掌握するために、民族性を尊重したが上での結果ではあったが、イギリス軍ではなくロレンス個人としての成果を上げようとしていた様に見えた姿が「自己顕示欲にまみれた面」と言えると思われる。
ロレンスの彼らしい生き方と最後の迎え方
中東の戦場で活躍したロレンスだが、彼はイギリス軍の「言うことを聞く良い部下」だった訳ではなく、自分の内発的な動機をもっていたからだった。
後日、同僚であった官僚宛に書いた手紙に下記2つの動機が記されていたことからも背景を伺い知る事ができる。※
①個人的なもの。さるアラブ人が好きでした(ダフウムという友人)その民族の自由を贈り物として喜んでもらえると思ったから。
②愛国心。自分を民族意識の源泉にしたいという知的関心、アラブ民族の連邦を英帝国の中に創設しようとする待望。
イギリス軍という大きな組織に属しながらも、自分の動機に基づいて活躍した姿は、一時期「自己顕示欲にまみれた」と言われる事になってはしまったが、自分らしい生き方を貫いたと考えられる。
また、死亡の原因は、戦争や飛行機の墜落事故ではなく、除隊後に私人として自分のオートバイ(オートバイのロールスロイスとも例えられる高級車)を運転中の交通事故で死亡した。
映画中でもバイクに乗っているシーンで、スピードを出しすぎていたが為に自転車に乗った男を避けられずに事故を起こしていた。
空軍に属している頃、スピードボートの作成に当たっていたロレンスがスピードに関する関心は終生持ち続けた事※を考えると、事故の原因でもあるスピードも彼が好んで出していたと推測できる。
ロレンスは46歳という若さではあったものの、大好きなバイクで、スピードを出しまくって死んだのであれば、本望では無いかと思われる。少なくとも私の目にはロレンスは幸せな最期だったように見えた。
最後に、映画のために設定された架空の人物で、ロレンスの2年間の活動を、そっと身近でみていたハリー・ブライトンが、ロレンスの葬儀で発した言葉を添えさせて頂く。「彼は私が今までに知った中で最も並外れた男でした。」デヴィット・リーン監督は、波乱の時代の中で、戦争に巻き込まれながらも彼らしい人生を送ったロレンスを「偉大な者」と評価するためにこの映画を撮影した様に思う。
私も時に酷評される事があるかと思うが、勇気を持って自分の内発的な動機に基づき行動する事、好きな物を大事にする事で、幸せな最後を迎えたい。
※田隅恒生著「アラビアのロレンスの真実」参照
映画評と、映画感想を間違えており、内容が事なってしまっていますので、添削はして頂かなくても大丈夫です!