少し「旅」から離れて旅してみる
結局旅をしていたら旅から離れられてないじゃないか。
もしかしたらそう言われてしまうかもしれない。
でもこれはそういうことではなく。
今までピポットの中心を旅において、そこからコンパスがぐすぐると回るようにやりたいことを探していた私にとって、旅と無関係な場所へ、領域へ、コンパスを離れ少し足を伸ばしてみるということ。
コンパスから離れられなかった私はいつも「旅×○○」を探していた。
旅と親和性が高いものは何だろう、相性がいいものは何だろう。
私が導き出す答えはいつもおなじだった。それもそのはず。結局は「旅」というワードの手が届く範囲をぐるぐると探し回っていただけだったから。
それでも、旅を離れるという選択肢を選ぶことができたのは先日私が旅に疲れてしまったわけではない。思ったよりもまだまだ旅が好きで、またいつでもその気になったらこの場所に戻ってこれるという確証が持てたからだった。
とはいえ、旅を辞めるわけではもちろんないし、バンコク滞在を切り上げて日本に帰るわけでもない。このままバンコクに滞在するし、旅がしたくなったらいつだってふらりと出かけてやる。
ライター業を辞めるわけでも、かといって全く新しい仕事を明日からもう一つはじめるわけでもない。
そう、私の日常が今と大きく変わるわけではない。
今まで「旅×○○」を考えていた思考回路をいったんお休みさせて全く違うことと旅をむずびつけていく。たったそれだけの変化。
「旅人は自分から難しい領域に飛び込もうとしてる」
それはわたしをはっとさせた言葉だった。「親和性が高い」というのはとっかかりやすい、つなげやすいというメリットもあるけれども、やっぱりその分ライバルは多い。
同じように旅をしてきた人たちの中で「私は旅でこんな経験をしてきました」「私は今までこんな場所に行ってきました」と声高らかに叫んでも、それはただただ相手との優劣をつける叫びあいになってしまうだけで、疲れて声なんてすぐに枯れてしまう。そんな中で声がかれるまで叫んでも、私の経験に本当に目を向けてくれる人なんてきっと少しいたらいいぐらいだ。
だったらフィールドを変えてみよう。
「旅」だけじゃない、もっと遠い場所へ旅をする。
確かに旅人の世界の中で南米に行ったことのある人、世界一周をしたことがある人なんてごまんといる。
だけれども、わたしの大学の友達の中に南米に行った人は一人もいない。たったわたしだけ。ドイツやタイに住んだことのある人も、たったわたしだけ。
旅人の中ではそんなに輝けなかった私のアイデンティティが突然に輝きだした気がした。
きっと、いや絶対にこの経験が活きる場所が他にある。
私のドイツでの留学経験や南米でのケチャップ強盗未遂の経験、あんなにきれいだったウユニに行くまでのとほうもない道のり…。
そういった「たったわたしだけ」の経験が活きる場所。
明日からのやることが見つかった。
興味がある場所、仕事に関係ある場所。そういった場所じゃなくてもまずは積極的に外に出てみよう。なにごとにもシャットアウトせずに一度目の前に座ってよく観察してみよう。
きっと思わぬ場所にヒントが落ちている。まるでポケモンの隠しアイテムのように。ポイントはダンジョンをくまなく探すこと。見落としのないように、隅々まで。
これまでになかった新しいダンジョンを見つけたわたしは、意気揚々と新しい冒険へと足を踏み入れた。