偏食家の私~Part2
わたしの母は栄養士だ。
マックやミスドといったファーストフードは言わずもがな連れて行ってもらえず、中学2年生まではコンビニもダメだった。カップ麺なんて、昨年まで食べたことがなかった。
その反動か、わたしはそういったジャンクな食べ物が大好きで、好きなものにはすごく偏りがある。
いいことか悪いことかはさておき、辛い物は全く食べられないし、骨の細かい魚も苦手だ。食物アレルギーはないので本当に食べられないものは少ないが、外に食べに行くと時々積極的に食べたいと思わないものを口にしてしまうこともある。
それでも、おいしくないと感じるものは存外少なかったりする。
「ばか舌」なんて言われる。そうかもしれない。ご飯を食べて「まずい」と感じることは基本的にない。
もちろん美味しい食べ物は大好きだけれど、いい意味で食事へのこだわりがないのかもしれない。
だからこそきっと海外に住むことに関して、食事においては全く抵抗なく住むことができるし、口に合わない国の料理でも何かしら自分が好きな食べ物が見つかるだろうぐらいに思っている。
よくよく考えてみれば、わたしの生活の中で特にこだわっているものはない気がする。衣食住何においても、これは譲れないというものはほとんどない。
洗濯機は室内にあったほうがいいなぁとか、風呂とトイレは別々がいいなぁとか。本当にそれぐらいのものだ。先日春から新しく一人暮らしを始めた妹の部屋の要望の多さに呆れたほどだった。
何をそんなに望んでいるのだろう、と。
もちろん、生活の大部分を占める家の存在は大きい。
ゆっくり休みたいし、そのためにはできれば静かな場所がいいかもしれない。美味しいご飯は疲れを癒してくれるし、大好きな服はきっとその日1日を楽しく過ごす手伝いをしてくれる。それでも、私がそこまで衣食住に執着しないのはもっともっと大事なものがあるからだと思う。
「自由」
この2文字を追い求めてきっと私は生きてきた。
家だって、ずっとは住まない、借りぐらしだから特にこだわらないし、服だって荷物が多いと邪魔になってしまう。ご飯は海外に出ると食べたいものが食べたいときに食べられないことなんて日常茶飯事だからきっとこだわることに疲れてしまった。
いつでもすぐに手放せるように。
少し寂しいかもしれないけれども、その場所に根が生えてしまわないように、その場所をその気になったらいつでも離れられるように。でも、大切なものだけは絶対に手からこぼれ落ちないように。
そうやって生きてきたし、そうやって生きていこうと思っているから、きっと私は衣食住にこだわることを辞めてしまったんだと思う。
その代わりたくさんの大切なものが見つかった。
まるで、たくさんのものがごちゃ混ぜになったがらくたの山をふるいでこして、大切なものとそうでないものを振り分けていったかのように、手ものとには私が大切にしたいものがたくさん残った。
偏食家でもいい。
偏食家の私が好きなものは、きっとほんとに私が好きなものだから。
本当に大事なものを手放さないように。本当に大事なものを大切に抱きしめていられるように