仕事に心をこめる
「電話は相手の時間を奪う」
「要件はメールで送ってほしい」
”仕事ができそう”な人の中にはそういうことをどや顔で言う人がいる。
確かに、メールであれば相手の都合のいい時間に処理してもらうことができるし、「今お時間大丈夫でしょうか?」という確認も不要だ。
実際に、電話が来たら無条件に手元の作業を止めて電話を取らないといけなくなるし、電話の内容によってはやっていた仕事を中止してその仕事にかからなければいけなくなる。
確かに、この内容わざわざ電話するまでもないよなぁ。という内容の電話がかかってくることもある。中には言った言わないを防ぐために、文面で欲しい内容もあるだろう。
それはメールで送ってくれていい。むしろ、メールがひるような場面だと思う。
でも、人と人とのかかわりにおいて、何かを直接話すこと、声を聞いて話し合うことは絶対不可欠であり、最低限のそれすらもはねのけてしまうのは、ビジネスマン云々の前に、人として、その人と仕事をしたいと思えるだろうか。
仕事にはいろいろな種類がある。
全てメールだけのやり取りで完結できてしまうものや、メールだけのやり取りでしか完結できないもの。そういった仕事があることは全く否定しない。
だけれども、そうでない仕事においてのコミュニケーションは、積極的にとっていかなければならないのに。と思ってしまう。
社会人時代の仕事も、今の仕事もそうだが、細かいニュアンスが文面だとどうしても伝わらないことが多々ある。また、送った文面がこちらの意図しない感情を伴って相手に届いてしまうこともある。逆もしかりだ。
相手が何を思っているのか、怒っているのか、喜んでいるのか、皮肉を言っているのか。
そういった、人と人との細かいコミュニケーションを文面だけで伝えられる人はきっとほとんどいない。
どんな仕事にも、仕事の先には「人」がいる。
接客業はもちろん、製造業も、小売業も、漁業や農業だって。
私たちは仕事を介してたくさんの人とつながっている。
そのつながりを無下にするということは、回りまわって仕事を無下にすることにつながってしまう気がしている。
仕事そのものを丁寧にすることはもちろん、常に、仕事の向こうにいる人の姿を思い浮かべること。
お客さんだったり、取引先の担当の人、委託元の担当の人…。
そういう基本的なところから、もう一回「仕事」ということを見直していこうと思う。