それはきっと私が一番大事にしたいこと
TwitterやInstaのアカウント名やプロフィールに「旅する○○」という肩書を載せている人を最近よく見る。わたしはこの言葉を自分の名前やプロフィールに冠することにどこか違和感を持っていた。自分は旅するライターなのか?旅するフォトグラファーなのか?
確かに広義的にいうのであればきっと「旅するライター(旅をしながらライティングをしている人)」だし、「旅するフォトグラファー(旅をしながら写真を撮っている人)」なんだと思う。
それでも、本当に自分の目指す姿はここにあるのだろうか。この「旅する○○」が自分のなりたい姿なんだろうか、と、いまいち混ざりきれていないカクテルみたくゆらゆらとどちらつかずな自分に煮え切らないでいた。
そんな時こんなツイートを見た。
今一緒にTRECという旅人クリエイター集団(でいいのかな?(笑))を組織しているTessiのつぶやき。
このツイートを見た瞬間、あ、私の煮え切らなさの正体はこれだったんだとピンときた。今までグラスの中でゆらりとマーブル模様を描いていた私の思考がぴたりと1つの色へ変わっていくのを感じた。
私はライターである前に旅人でありたい。フォトグラファーである前に旅人でありたい。「旅を書いたり、撮ったりしている旅人」でありたいとはっきりと自覚した。
そもそも私がフリーランスという働き方を選んだのも、ライターやフォトグラファーを仕事として選んだのも、すべては自由に旅をするためだった。
職場と家との往復に疲れ、帰ってきたらやっとこさご飯を食べて、シュールな笑いの深夜番組を見ながら寝て、また朝になったら仕事の準備をするために何度も目覚ましのスヌーズをかけ目を覚ます。
まるで仕事の合間に息抜きに旅をしている生活が辛くなってしまった。
もっと自由に、もっとフットワーク軽くいろんな場所に行きたかったし、いろんな景色を見たかった。
今の道はそれを叶えるために選んだ道だった。
思えば私のピポットの中心にあるのはいつだって旅だった。
一度目の就活のときも、就職浪人をしているときも、二度目の就活のときも、社会人時代も、旅に魅せられてからは旅が私の中心にどしりと腰を下ろしていた。
そんな旅をもっともっと楽しむために、ライフワークにしていくために選んだことだったからこその違和感だったということにようやく気付くことができた。
きっとこの先も私は「旅する○○」と名乗ることはないと思う。
でもそれは「旅する○○」を冠している人を否定しているわけでも、ましてやバカにしているわけでもない。
その人のアイデンティティはきっと「○○」の部分にあるから。
私はその人のそういう部分を大切にしたいし、旅が好きなその人とはきっとすごくおいしいお酒が飲める気がしている。
だた、わたしは「旅人」でいつづけたいだけ。
私の根幹をなすものが「旅人」ということだけなんだ。
生涯旅人であるために選んだこの道だからこそ、忘れかけていた自分の思いや決意、覚悟を忘れないために。
自分にだけは嘘をつかない、逃げも隠れもしないために。
そんな私は今夜もまた次の旅のことを考えている。