言語というツール
いつからだろうか。
高校までは苦手な教科だったのに。
海外に連れて行ってくれた友達の現地の友達と話すときに、これってどうやっていうの?って聞いてばっかりだったのに。
自分から話すのは怖かったはずなのに。
いつの間にか、
旅行に行くのはもちろん、海外に住んでいろいろな手続きをするのが億劫ではないぐらいに英語への苦手意識はなくなっていた。
外国語を日常生活で話すうえで一番高いハードルだと思うのは、外国語で電話をすることだと思うのだけれども、その電話でさえも、日常的なやりとりであれば、嫌ではなくなっていた。
それでも、勉強としての英語は今も昔も苦手だ。
センター試験では「英語」は足を引っ張っていた科目だったし、新入社員研修の時に受けた最初で最後のTOEICのテストは450点だった。
実際に難しいディスカッションは全然今もできないし、通訳なんてもってのほかだ。
旅行中や海外生活中に私が使っている英語だって、基本的に中学英語を駆使しているだけで、ネイティブほどぺらぺらというわけではない。
それでもなんでこんなに積極的に話せるというのだろうか。
どうやってこんなに臆することなく英語を話せるようになれたのだろうか。
なんてことを考えてみた。
それはきっとドイツ留学に行ったからだと思う。
留学当初、ドイツ語がほとんど話せなかったわたしは諸々の手続きをドイツ語でできなくて英語でするしかなかった。
英語を話さなければ寮の入居すらできなかったのだ。
周りには日本語なんてわかるはずもない外国人留学生ばかり。誰の助けも借りれずに手続きを頑張った。
そして、もう一つ。わたしにとってはこっちのほうが大切だなと感じていること。
それは、母国語か違うみんなが集まって話しているときに、共通の話題で大笑いしたこと。
この経験は英語が苦手なわたしにとって今でもその光景を鮮明に思い浮かべられるほど貴重なものになっている。
全員が元々違う言語を話していた人たちなのに、同じ話題でこんなにも大笑いできる。それを可能にする「英語」というツールって本当にすごい!
世界を全く知らなかったわたしが留学に行って一番最初に感動した瞬間だった。
そこから、日常的に英語を使うようになってだんだんと英語に慣れてきて、さらにはドイツ語も毎日勉強してドイツ人同士の会話も同じように理解できるようになっていって、すっかり言語習得の面白さを知ってしまった。
「英語が話せる」こと自体はそんなにすごいことでもなければ、えらいことでもない。旅に行くのに、英語が話せなくても旅はできるし、ジェスチャーやスマホの翻訳機能で伝えたいことを伝えることはできる。
それでも、英語が話せると世界が広がることも、いつもより少し違う世界が見れるのは間違いない。
中学生レベルの英語でも、十分に世界が広がることはわたしが身をもって体験したのだから。
そうやっているうちに、言語学習に対する抵抗が次第になくなってきたわたし、そんな風にして、これまでに英語だけではなく、ドイツ語も勉強してきたわたし。
明日からはタイ語を勉強し始めることにしました。
どんどん話せる言語がコアになっていきますがタイ語が話せるようになればトリリンガルですやったー。(笑)
頑張ります!