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こうやってひとつまたひとつ自分らしく歳を重ねていく

5月23日。

誰かにとって何でもないこの日が私にとってはちょっと特別な日だ。
一つ、歳を重ねる日。そう、誕生日。

今までは学校で友達に祝ってもらったり、夜に飲み会を開いてくれたり、そうやってにぎやかに迎えていた誕生日も、25歳を過ぎたころから、ゆっくりと過ごすようになった。

それでも、たくさんの人が「おめでとう」のメッセージを送ってくれたり、連絡をくれたりする。ありがたいことだなぁと思いながら、ひとつひとつにゆっくりと返信する時間がすごく楽しみな時間だったりする。

 

26歳の1年は、25歳の1年よりも楽しかったと言えるだろうか。

うん。きっと楽しかった。
新しい職場で、全部が満足とまではいかないものの、たくさんの優しい先輩や同期に囲まれて、毎日楽しく仕事ができていたし、毎月のように飛行機に乗って遠出をした。行先でたくさんの友達に出会い、新しい出会いもあり、きれいな景色もたくさん見てきた。

 

そして27歳。もう言い逃れできない、正真正銘のアラサーになってしまった。

第一次だか第二次だか分からない結婚出産ブームも少し落ち着いてきて、今まで教室で黒板に向かって一緒に勉強してきた友達が、昼休みにしょうもないことでげらげら笑っていた友達が、誰かの「奥さん」になり、さらには「お母さん」になっていく。

そうやって新しいステージに進んで行く友達を横目に、まったく焦りを感じていないのはマイペースに生きている自分らしい。
それでも結婚をかたくなに拒んでいるわけではなく、いい人がいればすればいっかぐらいに考えている。

 

仕事に関してもそうだ。

目標としていたフリーランスとして、好きだった文章を書く仕事を、写真を撮る仕事をするようになったけれども、これも、あくまでも「旅と生きていく」ための一プロセスであって、もしも自分に合わないなと思ったらいつでも辞めて会社員や、他の働き方を模索してもいいなと思っている。

なんなら1年後に「もう旅辞めます」なんて言ってるかもしれない。

 

ここ数年で、大きく変わったのはそういった将来への考え方だ。

「大学時代は、卒業したらこうして、こうして、○年後にはこうなっていよう。」と、がちがちに将来設計を練っていた。
もちろんそれが悪いことではなく、そうやって数年後になりたい姿や、立っていたい場所がはっきりしていないと自分が進むべき道を見失ってしまう。

けれども、今はもう来年何をやっているか分からない。何ならどこに住んでいるかも分からない。どこにも住まずに旅をしているかもしれない。

でもそれは計画性がないわけでない。しっかりと自分が1年後こうなっていたい、3年後こうなっていたいという理想の姿はある。ただ、それはあくまでも完成像であって、そこまでに至るプロセスはなんでもいいと思えるようになった。
ゴールまでの道は、歩いている途中に決めればいい。地図を前もって準備して、ゴールまでの道の自分の知りうる最短ルートを探して、地図に通る道に線を引いて。そうやって準備万端でスタートすると、きっと途中の道が通行止めになっていたり、災害で通れなくなっていると途端にそれよりも、出会った分かれ道で進みたい方へ、ココロオドル方へ進んで行けたら楽しいだろうなと思うようになった。

 

そうやって、生きていけばいくほど、自分の「好き」や「こうありたい」という気持ちの精度が上がっていっているような気がする。
たくさんの趣味があったけど、きっと今でも好きなものは本当に好きだし、保育園に通っていたころからたくさんの「将来の夢」があったけど、それもふるいにかけられて、本当になりたい姿だけが今残っている。

 

そうやって、ひとつまたひとつと歳を重ねていく。

去年よりも今年が楽しかったと言えるように。

去年よりも今年が自分らしく生きたと言えるように。

素敵な1年になりますように。

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