いつだって手を挙げてみる
目立ちたがり屋で、なんでもしたがりやだった私は、もの後頃着いたときから「これやりたい人?」には一番に手を挙げる子どもだった。
小学校の学級委員や、中学の生徒会、高校の体育祭のブロック長。面白そうなものには片っ端から手を挙げていた。
それがいつからだろう。
きっと大学に入って少し経ってからだと思う。
「これやりたい人?」に率先して手を挙げなくなっていた。遅く来た反抗期なのか、ただすれていただけなのか、能動的に手を挙げることにおっくうになっている自分がいた。
変わってしまった自分を案外すんなりと受け入れ、
誰かがやるだろう。
私がやらなくてもいい。
そうやって積極的に周りと関わることをしなくなっていた。
そんな自分にも慣れてきてしばらくがたったとき、わたしはあの人に出会った。
その人は、とりあえず何にでも飛び込む人だった。
できるかどうかは関係なくて、自分にキャパシティさえあればいつだって自分から手を挙げていた。
その人を見ていると、がむしゃらに何でもやっていたあの頃のわたしを見ているようで、どこか懐かしくて、それでいて少し心が苦しかった。
わたしはなぜ諦めるようになってしまったのだろうか。
そんなことを考えているうちに気づいたら社会人になっていた。
社会人になったわたしの頭の中にはいつもあの人の姿があった。
自分の成長のために、少しでも前へと進めるように。
そうやって頑張るあの人を思い浮かべるうちに、「これやりたい人?」にいつだって手を挙げていたあの頃の自分の気持ちを思い出した。
「社会人になった」というきっかけはわたしにとってはいい区切りになったみたいで、あの人を見てここをが苦しかったわたしの本心に従ってみることにした。
「これやりたい人?」には積極的に手を挙げたし、聞かれる前から積極的にいろいろな仕事に挑戦してきた。
なにごとも、関わらず、触らず過ごしていくことはきっとできる。遠回りできる道は遠回りして、避けられるものは避けて。
そうやって無難に生きていくことはできる。
けれども、しなかった後悔よりも挑戦して失敗したほうがいい、そんな人生を歩んできた私には、少し刺激が足りなかったようだった。
ああ、あれやっていればよかった。
その後悔はきっと一生取り戻すことができない。
過去に戻れる人はいないし、同じチャンスがまためぐってくるとは限らないから。
それなら、
とにかく挑戦してみて、その中から自分の限界を知ったり、こうやったら成功できるんだを積み重ねていく方が人生が少しハッピーになる気がする。
そして、いつだって手を挙げてみる。
この方法で新しい幸せをつかめそうな場所に来ることができた話はまたこんどゆっくりと。
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