会いたいときに会える距離にいること
タイと日本。
飛行機で約5時間の距離。
世界規模で見ればこれでもまだ近い距離なんだと思う。
それでも、最近、日本にいる友達に無性に会いたくなる時が来る。
とうよりも、いつでも気軽に誘える友達がバンコクに欲しい。
いつも行く行きつけの居酒屋にふらりと立ち寄るといる飲み友達とか、
誰かと会いたくなった時にいつでも連絡できる友達とか。
「友達」はいても、そういう気を使わない存在って意外と少ない。
かといって、鹿児島で働いているときにそういう存在がいたかというと、ぱっと思いつくわけでもない。ふらりとどこかに飲みに行くこともなかったし、誰かと話したいなぁってときにいつでも会える友達もいなかった。
なんでだろう。
時間があるから?日本が恋しくなってしまったから?
きっとちらも違う。
きっと、わたしの中につい数か月前まではなかった余白が生まれたんだと思う。
これまでは仕事や、人間関係、そのほかにも私をがんじがらめにしてきた鎖のような存在。仕事を辞めることでそういった鎖を断ち切ってきた。
頭の中でたくさんのものを断捨離して、たくさんのものを手放して。
そうやって手に入れた余白の中に、この3か月たくさんのものを詰めてきた。一時は詰めすぎて頭がパンクするのではなんて思ったけど、それは詰め慣れたバックパックのように、時間が経つとまた、新しい余白が生まれてきた。
今の余白に何を入れよう。今自分に足りないものは何だろう。
そう考えた時に、今のわたしに足りないものは、この余白を埋めたいものは気心知れた間柄の友達だった。
「寂しい」とはまた少し違う。
もちろん日本の友達にも会いたいけれども、そんなの鹿児島にいた時からそうだった。
どこか、物足りない。
この物足りなさを埋めることができたらもっと毎日が楽しくなる。と、そう心が分かっている感覚。
早急に毎日飲んだくれれる友達を見つけよう。
飲んだくれなくても、さくっとご飯を食べられる友達。いつでも連絡してすぐに会える友達。
バンコクを離れたくなくなるほどの誰かに出会えることを楽しみにしながらそっと目を閉じる。