CD「Outside Society」に収録した尺八の曲2曲の解説
CD「Outside Society」に収録した尺八の曲2曲の解説:
The Flesh and the Mirror (鏡と体):
「1970年代前半、ヒッピー時代の終わりごろにケルト系の女性が日本人の恋人を追って、東京に引っ越して来る。「世界は一つ」という60年代の左翼的な考えに影響を受けていたが、二人は文化的な壁にぶつかってしまう。日本に来た彼女はどんどんノイローゼになって行くが、そこで彼女は気づく「本当は相手の顔さえも見えていないのではないか?」「私が見えているのは自分の頭で作ったイメージにすぎない。」人間にとっては自分の育った町の環境が自分の文化であって、そこになかった考え方は全てその人にとっては異文化のものであって、本当は見えていない。翻訳を通して分かったつもりでいるだけであった。「世界中の人々は分かり合うことができる」というのはウソである。表面的なことしか見えていなく、その後ろには深い歴史が作った伝統の山が隠れている。音楽さえも世界中の人々は同じように理解ができない。」
僕が10代前半の頃は、イラン系の義父 (Step-father) とアイリッシュ系の義母 (Step-mother)がいて、特にアイリッシュ系の義母と父の間には文化的な衝突がすごくありました。1970年代の前半に父と義母は東京に引っ越した。僕は母と義父と共にニューヨークにいたが、ある夏休みの時に母と義父が突然別居すると 衝突していた義母と父のところに来た。自分の書いている作品にはこうした文化的な衝突の経験が含まれている。
僕自身はアメリカ育ちなので、文化と文化の間で生きることになったが、感覚はニューヨークで育った1960年代から1970年代の人のままであると60代近くになっても感じている。
「鏡と体」は同じく1970年代前半に日本人の恋人を追って日本に来た自分の経験を描いたスコットランド系英国人の女流作家アンジェラ・カーターの短編小説のタイトル。
-----------------------
Drink Down The Sun and The Moon (太陽と月を飲みつぶす!)
"The Flesh and the Mirror" 「鏡と体」と同じシリーズのAyuoの尺八ソロのためのオリジナル曲。。最後の方にアイルランド民謡のフレーズが4小節聴こえてきます。小説家アンジェラ・カーターはこのアイルランド民謡を分析するエッセイを書いていた。ここでは日本に来たアイルランド人が直面する文化的な衝突を表している曲。
---------------------
Freedom From Belongingのインスピレーションになった言葉を語ったドナルド・リチーは日本に1947年の冬に来てから、米軍の新聞Stars and Stripes にジャーナリストとして仕事を初め、後にはJapna Timesで書いていた。日本の映画や文化に興味を持つようになり、黒沢明、小津安二郎、溝口健二、三島由紀夫、そして60年代では篠田正浩、勅使河原宏の映画の情報をアメリカやヨーロッパに紹介し続けた。アメリカの中西部で生まれ、60年近く日本で過ごした。特に文化の違いや衝突について描いているエッセイやジャーナルが面白い。
ドナルド・リチーさんと1949年に初めて出会った評論家、秋山邦晴さんの文章から抜粋したものを下記に紹介する。
———————–
ドナルド・リチー 人と仕事 by 秋山邦晴 (1989年 ー 草月シネマティーク「ドナルド・リチー氏の映像個展」パンフレットより)からの抜粋。
———–
リチーさんと初めて出会ったのは、1949年だったと思うが、その後二度目の来日以後は、いろいろな面で絶えずにお世話になった。
たとえば僕が関係していた音楽雑誌のために、リチーさんに作曲家伊福部昭訪問の原稿をおねがいして、いっしょに伊福部家を訪れたときのことは、いまでも鮮明におぼえている。それにレコード雑誌『プレイバック』に毎号新譜レコードの批評をおねがいしたりした。。。
これは戦後秘話とでもいうことになるが、伊福部昭、早坂文雄らの作曲家たちは、リチーさんの入手した現代音楽のレコードを聴かせてもらうグループの集まりを、毎月のようにやっていた。それは彼らの作曲家にとって、どんなに新鮮な刺激となり、創作の糧となったことだろう。
彼は学生時代にヒンデミットとストラヴィンスキー門下の先生に師事して、作曲を本格的に学んだ一時期があった。そういえば、リチーさんのピアノによる即興のすばらしさは抜群のものである。昔、作曲家黛敏郎の家でパーティーがあったとき、リチーさんはみんなの切望によって、ピアノを弾くことになった。はじめ、ひとつの古典的なテーマを演奏したとおもったら、つぎつぎに、いろんな作曲家のスタイルでそれが変奏されていくのだった。ラヴェルのスタイルのつぎには伊福部昭、ついでストラヴィンスキー、バーンスタイン、etc…と繰り出されていくその即興は、どれもがその作曲家の個性的なスタイルをはっきりとつかんだ見事な演奏で、みんなが唖然とするほどすばらしいものだった
リチーさんは何本も映画をつくっていた。Small Town Sunday (1941) 、そして二度目の来日以来、『青山怪談』(1957), 『し』(1958), 『秋絵』(1958)、『犠牲』(1959)、『熱海ブルース』(1962) 、『戦争ごっこ』(1962)、『ふたり』(1963) 、)、『ライフ』(1965) 、『黒沢明』(1975)…と精力的に、たいへん個性的な映画作品をつぎつぎと制作していった。
リチーさんの映画には、いつも死と詩、肉体と形式上学と精神の柔軟な運動、寓話的、心理的・哲学的な独特の世界観と美学が浮かびあがるように、僕には思える。ー 秋山邦晴