The Japan Journals: 1947-2004 by Donald Richie - ブックチャレンジより
大西 穣さんから7日間ブックカバーチャレンジのバトンタッチを受けて3日目:The Japan Journals: 1947-2004 by Donald Richie。
明日はYuval Noah Harariについて書きます。数日後には軸原ヨウスケさんにバトンタッチをお願いします。
●Donald Richie
ドナルド・リチーのジャーナルを読んで一番僕にとって重要な発見だったのは、社会の外に住むのが一番良い生き方だということだ。
彼の個人的なジャーナルにはこのような言葉が書かれてある。
「日本。私は孤独の高みに腰かけて、故郷オハイオの平た
い大草原を振り返る。そこでの世間の慣しは、もうすっかり、
自分とは無縁のもの。返す視線で、私は日本列島を見つめる、
が、ここでの世間の慣しもまた、私とは関係ない。何よりその
世間が、お前はこっちの者じゃないよ、と言い募っている。
ここが最高の特等席だと私は思う。ここでこそ、私は世界を比
べて観ることができるから。理解に向かう初めの一歩は、比較
すること。」
「自分をガイジンだと思えなければ、
僕はここにはいないだろう。
もしも日本人だったなら、
僕は 10 分だってここにはいたくない。
ガイジンでいることが好きなんだ。
所属がないのは、得なんだ。
所属させてもらえないことは、得なんだ。」
「所属するより、自由でいる方が大事だ、とわかる。
自由と一緒に生きるのは難しいことだけど。」
彼の考え方に基づいてAyuoは次の歌を作った:
「一人だけの社会
私は自由になった。
構成員がたった一人の社会。
永遠に、周りの誰とも異なる
一人。
自由と一緒に生きるのは難しい。
他人との妥協が好きな世間、
でも、他人のタイプがバラバラすぎる。
そもそも、「国家アイデンティティ」というのが、ほん
とうに在るのか、今や疑わしいもんだ。
この宇宙では、それは大真面目な妄想。」
「国家アイデンティティ」とは何か?
Nation-State (民族国家が直訳、日本では国民国家という言葉でも翻訳される。)のコンセプトに縛れることが近代社会。幼少期からいくつかの国で育った人には民族という意識を持ちにくい。どうも理解が出来ない考え方なのである。
ドナルド・リチーは第二次世界大戦直後に米軍新聞のジャーナリストになるために日本に来た。しかし、当時の日本の映画や芸術運動に興味を持って、人生の殆どを日本で過ごすことになった。後に音楽評論家となった秋山 邦晴とは1940年代の後半に初めて会ったようである。黒澤明、小津安二郎、勅使河原宏、篠田正浩等の映画を欧米に紹介した。1950年代ではアメリカから送られるクラシックや現代音楽を聴く会をドナルド・リチーはやっていたようだ。
しかし、彼の日記や個人的なジャーナルを読むと初めて彼の内心の考えが理解できる。
上記の言葉に共感できるとすれば、それは国も家族も持っていなく、社会から離されている人である。本当の社会のアウトサイダーは自分で選んでなるものではない。