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你知道什么是知音嗎?~知音って何?~
どうも、うえなかです。
家にいるときについつい動画づけの日々をすごしがちなので、たまにはアウトプットをば。
『鬢辺不是海棠紅』邦題(君、花海棠の紅にあらず)という中国ドラマがあります。
今回はこの作品のオープニング曲についてあれこれ書きます。
その前に、まずドラマのタイトルから
『鬢辺不是海棠紅』
鬢とは耳のあたりの髪の毛のことです。
海棠とは邦題にもある花海棠のことで、ここでは女性を象徴しています。
つまり「あなたの耳元にいるのは、花のように美しいけれど、女性ではないんだよ」というのが原題の意味です。邦題は逆に「あなたは女性ではない」になってしまっています。
さて、オープニング曲です。
ドラマのプロデューサー于正が作詞、作曲と歌は陸虎が担当しています。
原来姹紫嫣紅开遍
似這般都付与断井頽垣
良辰美景奈何天
賞心楽事誰家院
この部分は于正が作った詩ではなく『牡丹亭(牡丹亭還魂記)』という最も有名な戯曲で歌われる歌の歌詞です。
歌い方も中国語の発音も戯曲の唱詞特有のものになっています。
こんなに赤く美しく花は咲き乱れているというのに
こんなに寂れて荒れ果てた中庭に置かれ
こんなに美しい春の貴重な時間をどうやって過ごせばいいのか
愉快で楽しいことは一体どんな人の家にあるというのか
という感じでしょうか。
その後歌詞は
你我這世
這世的縁
都在眉間
心田
とつづきます。訳すと(自信なし)
あなたと私は現世で
現世の縁として
眉間に(見てわかる、触れられるものとして)
心の中に(目では見えない感情の奥深くにも)あるじゃないか
としておきます。これは主題歌『鬢辺不是海棠紅』の一部分を利用したものです。全曲をどうぞ。
オープニングでは、伴奏の余韻の中で商思蕊(シャンシールイ)役の尹正の声で
你知道什么是知音嗎(知音って何か知ってる?)
というセリフに続いて程鳳台(チョンフォンタイ)役の黄暁明の声で
我知道,我一直在听(知ってる、お前のことをずっと聞いている)
というセリフでドラマにつながっていきます。
第一話を見る前からここでじわっと来てしまいました。なぜでしょう。
你知道什么是知音嗎?
「知音」という故事成語があります。
【知音】
①心の底をうちあけて話すことのできる友。心の通じ合った親友。無二の親友。
(日本国語大辞典)
とあります。『呂氏春秋』や『列子』、『蒙求』などに見られる故事です。国語の教科書に乗っていたりもします。ちなみに私はこの言葉、これまで使ったことはありません。
大まかにお話をおさらいすると、
春秋時代に伯牙という琴の名人がいました。
それを鍾子期という人がたまたま聞いていました。
伯牙が太山という山をイメージして弾くと、
鍾子期は「いいねえ、巍巍(ぎぎ)としてまるで太山のようだ」と言います。
今度は川の流れをイメージして弾くと、
鍾子期は「いいねえ、湯湯(しょうしょう)としてまるで流れる川のようだ」と言います。
後に鍾子期が死んだことを知った伯牙は、弦を切り琴をたたき割って二度と琴を弾くことはありませんでした。
自分の音を理解してくれる人物は二度と現れないと思ったからです。
山をイメージすれば山を、川をイメージすれば川を。
自分の思いを深く理解してくれる人間。得難いですね。
でも、これポイントは単に「山」や「川」ではないんじゃないかと思います。
思わず嬉しくなってしまうのはむしろ「巍巍」や「湯湯」の方なのではないでしょうか。
本人たちが生きていた時代はともかく、このエピソードが書かれ、読まれていくときに、
「巍巍」や「湯湯」という表現をなぜ使い、受け継いできたのか。
調べてみます。
【巍巍】高く大きなさま。
【湯湯】①水の流れるさま。又、波の動くさま。
②水の盛なさま。
(大漢和辞典)
あ、辞典じゃダメでした。実はこの二つの言葉は『論語』にも使われた表現なのです。
子曰はく、「巍巍乎たり。舜・禹の天下を有(たも)つや。而(しか)して与(あずか)らず」。と
子曰く、「大なるかな、堯の君たるや。巍巍乎として唯だ天を大と為し、唯だ堯これに則(のっと)る。蕩蕩乎として民よく名づくること無し。煥乎として、其れ文と章有り」と。
これ、孔子が自分の理想とする政治を行った伝説の君主堯・舜・禹をほめたたえるときに使った表現です。(「湯湯」はここでは「蕩蕩」ですが)
自分の表現を伝説の君主と同列のものだと言ってくれたのですから、それはもう、ね。
でも私がセリフにぐっと来たのはこの次のセリフでした。
我知道,我一直在听
京劇役者としての表現を理解し、自分の思いを深く理解してくれる友人。そんなことを思って商思蕊は程鳳台に問いかけます。
程鳳台は、「知ってる、お前のことをずっと聞いている」と答えるのですが、私にはこの返事の後半、「我一直在听你」が、商思蕊の歌を「聞いてる」だけではないと感じたのです。
中国語の「听」という動詞はもちろん「(耳を傾けて)聞く」という意味もありますが(あえて日本語の漢字を使い分けると「聴く」です)、「(言うことを)聞く、聞き入れる」という意味もあります。
好,我听你的。
という中国語は「わかった、私はあなたの言うとおりにする。」という意味になります。
一代で富を築いた豪商程鳳台が「ずっと受け止めてやる」と宣言しているのです。
それにしても「知音」だけではなく、中国には「水魚の交わり」とか「杵臼の交わり」とか「刎頸の交わり」とか(物騒な)「管鮑の交わり」とか友情に関する故事成語がずいぶん多いと思います。バディーもの、ブロマンス(男性同士の親密で精神的な繋がり)ものが多く制作されるのも歴史の下支えがあるからなのではないかとも思います。
ワクワクしながらドラマを楽しみたいと思います。
それでは。