さよならアクセルとブレーキの同時踏み
メルボルンからこんばんは
まだ、名乗る名前も決まっていない、Ayunomadoです。
車を運転したことのある方なら、もしかすると、わかりやすい感覚かと思うのですが、止まる為のブレーキと、進むためのアクセル、同時に踏んだことはありますか?
さようなら。今をもって、私はあなたとお別れすることを誓います。
随分永いこと、あなたは私とともにありました。
大きめのチャレンジをする時も
誰かとの会話で言葉を発しようとするときも。
誰がこの例えを私に教えてくれたのでしょう。
駆け出したい衝動と、それを必死に抑え込もうとする、腹の中でたぎるエネルギーたるや、車が最も消耗するであろう同時踏みと、まさにぴったりの表現だと思います。
私は、いつのまにか、いつでも、繰り返し、アクセルとブレーキを同時に踏んでいました。
未だ出来ていないから、出来てから話してみよう、これを大切だと思っているけれど、そうでない人もいるから、この話をするのをやめよう。
どうしたらよいのかわからないから、わかってから表現しよう。
お互いこうなれたらいいけれど、相手が望んでいない態度をとったら、結構へこむから、控えめにしておこう。
ブレーキは、いつでも私を守るために、私自身がかけていたものだけれど
その為に、どれくらい、繋がれるはずの関係を失って
見られるはずの風景を、見失っていたのでしょう。
外出自粛のコロナ時代と言われる中、日付もよくわからなくなるけれど、先週、オンラインのグループというものに参加しました。同時に2つ。
怪しくないですか?
一つはメルボルンのママ友繋がりの、4つ会社を経営される幼児2人のママが、面白い挑戦をするので、是非参加して!というもので、あまり何も考えずに。
もう一つは、Facebookの広告で、それも、どの言葉に惹かれたのかは、はっきりと覚えていません。
同時に5日~7日間の無料のコースが開催されて、全く同じルールというわけではないけれど、興味深い内容の講義の後、課題が出され、提出をしないと、グループから削除されて、次の動画が見られない、というようなもの。
30歳の時、ワーキングホリデーでカナダとアメリカに行って、15カ月間、15ヶ所以上、食費宿代0で、オーガニックファームやCouchsurfing、出会った人のお家にお世話になって旅をしていた時
こんな遠くにまで来て、一生分の草むしりをして、時にはひたすら石をふるって土を作り、蜂の巣箱を作って、野草をサラダミックスにして、ファーマーズマーケットで販売し、ハーブチンキを作り、ヤギの入ってくるキャラバンで暮らし、大学生の集まるホームパーティーで、一人が、辞書の中から誰も知らない言葉選び、各々が定義して、誰が本物らしく、一番人をだませるかというゲームをして、何人かが私の定義を信じた時
言いたい書きたいこれを誰かに知らせたい。という想いと、誰がこれを知って何の得になるの?という声。
思えばその頃から、薄々自分が、同時踏みだと、知っていたはずです。
やっと、結論を言うと
シンプルに、循環型の経済がまわればいいのに、と思っています。
その根拠は、そういう、細かい、こまこまとした経験から、医療、消費、投資、教育、そういったことが一つの線で繋がって見えていて、その中で、沢山の人が藻掻いていると感じるから。
藻掻くことは悪いことではないけれど、アクセルとブレーキの同時踏みは、もう要らないと、私は思います。
何十年も、何をすればしっくりくるのかわからなくて、ものすごいバイタリティで、沢山の華麗で専門的な職歴を披露した人がいました。会社員や管理職をしながら、自己投資に数百万から数千万かけたという人もいました。
皆がみんな、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいたわけではないかもしれないけれど、オンラインのグループで、課題という形で、お互い自己発信をする人が、本当に沢山いて、そのどれもが、想いで溢れていて、セミナーみたいなものを、どこか冷めた目で見て、SNSをリアルの友達に限定していた私も、違った景色を見にに行きたい自分を認めました。
だって、その講義の中で、初めて聞く言葉が山盛りだったのです。
子育てが始まったとき、当時37歳の私は、知らない事ばかりだったと、世界が変わって見えたけれど、20代後半で会社を辞めた時から、スピンオフ?浮世離れ?と言われてきた私も、パラレルに存在していた世界に巻き込まれて、やっと一つの決心ができたのです。
わかりにくい頭の中、丸見せの実況中継になってしまったけれど
さようなら、アクセルとブレーキの同時踏み。
したことのないことをしてみます。