50代元保育士は「親の声を聞く」アドボケイトになりたい
子どもや若者、社会的立場の弱い人たちと向き合うための一つのスキルとして、今アドボカシーについて学ぶことはマストと言えます。
アドボカシーとは
今、この記事を読んでくださっているあなたもアドボカシーについては
「聞いたことがある」
程度の認知度ではないでしょうか?
1.主に福祉の現場での実践
アドボカシーとは、社会的に弱い立場にある人たちの権利を守る/主張を代弁するという意味合いで、広く使われています。
福祉の現場では、イギリスや北欧で多くの実践、事例が挙げられアドボカシー先進国となっています。
一方、日本におけるアドボカシーは、大学などの研究者たちがイギリスや北欧の福祉現場に研修に行って学んだ知識を、国内の福祉従事者へ伝えていく形で実践されているので、まだまだ世間一般的に広まっていないのが現状です。
日本での活動はこちらの学会で活発に行われています。
2.「私たちのことを私たち抜きで決めないで」
高齢者や子ども、心身障害者の方は自分で意見を伝えることが難しい場面が多くあります。
そのため、問題が起きた場合に早期発見できる仕組みをアドボカシーを導入して整える必要があると訴えられています。
しかし、現場では意思決定や問題解決へのプロセスが、支援者側の主導で反映されていることもまだまだ多いものです。
本人について何かしらの決定を行う場において、必ず本人が出席することをごく当たり前にし、意見表明のお手伝いのためにアドボカシーを導入するという取り組みは、徐々に始まっています。
本人が参加という概念は、0歳の赤ちゃんに対しても同じ対応をすることが必要と言われています。
本人を抜きにして、または本人の意見を聞かずに物事を決めないというのが大前提なのですが、今までこの当たり前のことは見過ごされてきました。
2.アドボカシーを学ぶには
私がこのアドボカシーについて学んだ時期は、施設保育士時代にさかのぼります。
様々な事情で親(社会)という後ろ盾ののないまま生きていく子ども達にとって、意見表明権は非常に軽んじられている状況でした。
ほとんど人権侵害レベルと言っていいほど、個人が尊重されていない現場を見てきた為、疑問に思っていたところにドンピシャでこの講座を目にしたので、学びたい!と思いました。
子どもアドボケイトとしての活動
講座を終えた後の私は、子どもアドボケイトとしての意欲が買われて活動に参加することになりました。
といっても、アドボケイト(アドボカシーを実践する人)の需要はまだ発展途上といったところで、福祉施設では逆に敬遠されるような存在でしたので、充実感を持って活動できたかというと個人的な感想は「困難だった」と思います。
1.やりがい
それでも、週1回の訪問日を楽しみにしてもらったり交流していく中でのやりがいとか自己効力感は日に日に芽生えていきました。
ただ、訪問先の施設長との意見の対立から、私は1年間ほどで離脱してしまいました。
2.誰の声を聞きたいのか
でも、この活動を経験して自分が何をしたいのかわかりました。
アドボケイトとして、子どもや立場の弱い人に対して「声を聞くこと」を学んだわけですが、例えばその子どもは親からの養育放棄や虐待を受けた子だったりするわけです。
そこでふと、虐待をした親はどんな気持ちなんだろう?…と思ったのです。
次第に私はその親の方に意識がフォーカスし始めました。
親へのアドボカシーが、私がやりたいことだと思ったんです。
これからやっていきたいこと
そう考えたら、私は子育て支援施設でも「親の支援」をしていたよなぁと思い出しました。
今、noteを書き始めてぼちぼち子育て経験など発信しており、これから私の経験したことで結構ヘビーな内容もマガジンにして書いていく予定です(笑)
1.子育てはしんどい?
子どもを育てるのって本当にしんどい作業だと思います。
妊娠しただけでもすごいことだし、出産も痛いししんどいのに、それを乗り越えてまだまだ長い子育てという苦行が待っている…
気の遠くなるような話です。
もちろん、子どもがかわいくて大好きで子育てを楽しいと思ってできるパパママもいます。
本当に尊敬します!
2.親だって受け止めてほしい
それだけのしんどい思いを乗り越えて、親になった人たちのことを私は精一杯応援していきたいと今思っていたりします。
そして、どうしてもしんどくて子育てが難しいと感じる時は、第三者を頼ることを躊躇しなくていいと伝えたいんですよね。
子どもを産んだその先に、「いい母親、いい父親」の呪縛に縛られたくないのは当たり前の感情です。
親である前に一人の人間だ!と主張して当たり前です。
私がそっと見守っていけるとしたら、親を個人として思いやること…そんな全て肯定するよという目線が支援となって一つの活動に繋げられるといいなと思っています。