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はじめまして!maruちゃんです!#自己紹介

ようこそ、50代シンママ元保育士maruちゃんのnote へ!

「非行少年&不登校娘がちゃんと大人になったよ!」
子どものあるがままを受け入れるのって親にとっては試練みたい。
このnoteは、シンママmaruちゃんの子育て実体験を赤裸々に綴っています。
あなたにとって役立つヒントが見つかれば幸いです。




ニックネームの由来

maruちゃんは本名ではありません。
※訳あって、ニックネームを改名しました💦
我が子達の名前でもありません。

シングルマザーだから何?

ここでは、シングルマザーの子育て経験を語っていこうとは思っていません。
いや、多少そういう要素にはなってしまうと思いますが、3人3様の子育てというものが、濃すぎてしまい何から書いていこうか迷います。

非行少年だった長男の話

あるあるじゃん!と思われるかもしれませんが、なんで鑑別所に入ったのか、その理由が衝撃的過ぎました。
現在26歳の長男は、大都会の真ん中で社長として立派に(?)生活しています。

不登校だった長女の話

これもあるあるだと言われそうですが、不登校児をかかえる家族の闇が結構深いのは、当事者でないとわかりづらいものですよね。
希死念慮を乗り越え、長女は今ロシアでバレリーナとして働いています。

ミュージシャンを目指す次女の話

兄と姉、2人の奇想天外な生きざまを間近で見てきた末っ子は、まだまだ自分探しの旅の途中の人です。
彼女とのやり取りは、現在進行形でお話しできる子育てのリアルな部分になっていくと思います。

離婚後の極貧生活

長男10歳、長女6歳、次女4歳の時に夫と離婚しました。
仕事は保育士の資格を取る前でしたので、お給料も低かったですが、自治体からもらえる子育て手当を頼りに何とか生活していました。

一日の食費が1000円という日もありました。
後日談ですが、娘たちから
「またおにぎりだ」とか「またお好み焼きだ」という嘆きがあったことを最近知りました。

お金はなかったですが、そもそも贅沢を知らなかったので(笑)それは苦ではなかったのですが、当時すでに娘がバレエを習っていたので月謝やら必要経費を捻出する方が心が苦しかったです。

「やめさせれば良かったのでは?」という声が聞こえてきそうですが
辞めさせる選択肢はなかったんですよね。

この話は、長女のバレエの話として書いていきますね。

少し私のこと

現在50代のシングルマザーです。

社会人になってから保育士免許を取り、約10年ほど保育園や子育て施設、児童養護施設で勤務していました。

私自身の話で特筆することは何もないんですが、一応自己紹介ということと、子育てに繋がる話をしようと思います。

私の両親の話

こういう背景が、実は大事だったりするそうなので回想していきます。

私の母は、芸術家になりたかった人です。
しかし、ピアノや声楽を大学で学ぶ希望があったにもかかわらず、終戦後という社会情勢と「女に学問はいらない」という親(私から見て祖父母)の考えのせいで、高卒で地元企業に就職しました。

私の父は、野球選手になりたかった人です。
甲子園球児にはなれませんでしたが、県内でベストナインに選ばれ大学推薦されたそうです。
しかし、農家の息子だった父は東京の大学で野球をする費用を出してもらえず、地元企業で就職、母と出会い結婚しました。

私はやりたいことをやらせてもらえたのか

このように、両親はそれぞれ自分の夢を諦めた人生を送ってしまったように思えます。
よくこの話を聞かされていたので、ここで書けるくらい両親の話を私は覚えています。

お金の苦労をすることなく大学に行かせてもらった私ですが、本当にやりたいことができたのかというと、そうとは言えないと思っています。
(両親が聞いたら反論しそうですが)

私がやりたかったこと

  • 客室乗務員になりたかった

客室乗務員になる夢は、高校生の時でした。
当時は専門学校に通って、いち早く夢を実現させたいと思っていましたが、高卒で社会的に苦労してきた両親は猛反対。
将来のことはおいおい考えるとして、とにかく大学に行ってくれと言われました。

  • 教員になりたかった

大学では教員免許を取得したこともあり、卒業後は教師になりたいと思いました。
教育実習に行った母校で採用の話があったのですが、最初は講師からということで安定したお給料が見込めません。
ここでまさかの壁となったのは、「大学を卒業したら家を出ろ」という両親の考えでした。
講師のお給料で一人暮らしはできませんし、私は別の道を選ぶことになりました。

子育ての根底にある思い

そんなわけで、私は子どもたちにやりたいことを諦めるさせるということはしたくなかったんですよね。

ただの「意地」と言ったらそれまでなんですけど(笑)

ただ、それが直接子ども達へと伝わっていったので、結果的に「やりたいことをやらせてくれた」親として、感謝されている(多分)ようです。

まあ簡単に「やりたいことをやらせる」といっても、親の意向ゼロの世界になるわけですから、こちらの覚悟も相当なものでした。

「ただの放任」という、否定的な言葉を投げかけられたこともありますし難しい選択をしてきたことは自慢できることではありません。


さて、noteの機能がまだよくわからないのですが、使いながら良い投稿にしていきたいと思っています。

子育てが終了した今だからこそ、誰かの悩みにこたえることができる記事を書きたいです。

いろいろと濃い子育て経験をした私ですが、決して立派な母親ではありません。

追々、自己開示もしていくつもりです。

もし子育てが辛いと感じているママさんがいらっしゃったら、肩の力を抜いてもっと母親業を気楽にね、と励ます気持ちでnoteを書いていきたいと思います。



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