「思いやり」は「重い槍」
私は、両親や、彼氏から
思いやりと名付けられた
何本もの重い槍をあびせられ
重傷を負った。
しかしつい最近まで私も、育った環境から
思いやりは大切だと思い込み
職場や周囲の人に重い槍をあびせてきた。
それにより、重い槍を放ったところでは
反撃を受け、私は仕事や、健康、お金、周囲の人を失った。
具体的に書く。
思いやりだと思って、相手に「気をつけて」と言うことは、実は思いやりではない。
相手からするとただの、マウントである。
相手にとって相手の世界観の邪魔をすることや、相手に仕事を増やし重荷を与えることなのである。
しかし、それに気が付かない両親や、彼氏や、私は相手に言い続けた。
いつしか、それはマウントの取り合いへと発展した。
なぜマウントになるかというと、気をつけてと言うことは、
私が言うことは正しいのよ。
私が、あなたより上なのよ。
と言うことになるからだ。
私は、今は重い槍を相手に突き刺さぬように、「〇〇気をつけて」「〇〇いいから、やってみて」はしていない。