🏡多世代型シェアハウスプロジェクト物語③🏡
多世代型シェアハウスを作ろうと思った日からの記録です。
✨社長に相談してみた✨
長野県木曽町開田高原で半年間蕎麦屋をやっていたら、開田高原の大自然もそこに住む人達も大好きになってしまった私。
「人生の後半はここで過ごしたいなー」と思うようになってきました。
買い物は不便だし、高齢者ばかりだし、交通の便は悪いし、田舎ならではのご近所付き合いも大変そうだし、日本で1番と言われるくらい寒い…。
便利さが無いからこそ、「生きる」ということを感じさせてくれた場所でした。
でも、独身の私にとってここで1人で生きていくことは勇気がいる決断です。
「ここで誰かと一緒に住みたい」と思うようになりました。
それと同時に開田高原には一人暮らしの高齢者や、今は夫婦で暮らしていてもどちらかが数年後に亡くなった時に一人暮らしになるであろう人達がたくさんいる事も分かってきました。
病院も無くて介護施設も少ししか無いこの場所は、数年後どうなっているのかをイメージしたら、どんどん小さくなっていってしまう気がしました。
関東に帰ってきて、社長に言いました。
「開田高原で多世代型シェアハウスみたいなものを作ってみたいんです。一人暮らしの高齢者が主体で、そこに子供も移住者も医療従事者もみんな集まる場所があったら、ここの伝統を繋ぐことも出来るし、認知症などの予防にもなるし、光熱費も節約できるし、関東からも人を呼べるかもしれない」と。
そしたら、社長がこんな返事をしてくれたんです。
「やりたいことが出来たんですね! やりましょう! それ、みんながハッピーになるんですよね!」と。
しかも、急にパソコンで調べ始めたと思ったら…
「この場所だと、この補助金が使えるから…」と補助金の総額を計算してくれて、「どこで収益を上げていけばいいか考えないと…」と考えるべきことを提示してくれました。
感動✨
「私って本当に人に恵まれているな」と感じました。
まだまだ時間がかかるプロジェクトですけど、出来ることからコツコツやっていきたいと思います。