17.他人との距離感の分からなさは生まれつきなのか、症状なのか
職場が同じKちゃんに、余計な一言を言ってしまいました。
もしかしたら、百歩譲ってわたしが言ったことは間違いではないのかもしれない。でも、人にはそれぞれいろんな事情があり、それは目に見えません。その事情を汲み取って、そしてKちゃんが毎日毎日お仕事を頑張っている姿を、わたしは一番間近で見ていて、知っているのにも関わらず、です。
そしてわたしは、Kちゃんと歳がかなり離れている。わたしが歳上。
帰り際だったこともあり、言ったことに対してわたしが後悔した時には、もうKちゃんは帰ってしまった後でした。そしてひどい後悔と戸惑いだけが残りました。
言う直前に、頭の片隅で言ったら後悔するよ、となんとなく分かっていたんです。でも止められなかった。自分が恥ずかしいと思ったし、大人げないと思ったし、情けないと思いました。
あまり後悔に囚われすぎると、鬱状態に入りそうだな、と少し感じたので、思考を別のことに使って、薬を飲んで、その日はやり過ごしました。
これは双極性障害の症状だと言えるんでしょうか?
躁状態は他人に対して攻撃性が増すらしいです。じゃあわたしがした行動は、ただの躁状態だっただけなの?双極性障害だからしょうがない、なんて片付けていいことなの?
わたしはなんかそれも違う気がして、少なくともこうやって後悔していて、もしかしたら自分が間違っていたかもしれないと思っている。相手が自分にとってとても大切な人なら、なおさら謝らなければいけない。わたしの言葉で他人を傷つけてしまった責任を取らなければいけない。それは自分がどんな状態であっても、です。この考えは苦しいけどね。
その日からわたしはたまたま連休で、時間がたくさんありました。
Kちゃんが前に、自分がやったことない仕事を知りたい、と言っていたことを思い出して、余った時間を使い、そのやり方をレポート用紙にまとめる作業を始めたんです。
この前、余計な一言を言ったお詫びです、これで許して下さい、という下心で始めたことではないつもりでしたが、なんせ、双極性障害が持つ自己中心的な考え方、きっとここでもリアクションをただ求めているだけだったんでしょう。でも、何もしないよりはいいかな、と自分を納得させました。
次の日、連休二日目。
用事があって出かけるついでに、という体で、朝に職場に行きました。書いたものを渡し、この間はごめん、と謝りました。実は行きのバスの中で、すでに泣いてしまいそうでした。なんとか堪えた。よくやった自分。
「そんなことないよー」って受け取ってくれ、そして喜んでくれました(そのはず・・・!)。わたしは少しホッとしたし、もしかしたらKちゃんを失わずに済んだかもしれない、と来て良かったと思いました。失うことへの怖さ。ここでも頭をかすります。
そして帰りのバスの中。
この行動も、双極性障害の症状の一つだとしたら?
躁状態は自分がハイになっているので、周りの空気感が読めなくなり、大胆な(他人にとっては愚かな)行動をします。
休みの日にわざわざ職場に寄り、レポート用紙を渡す。この一連の行動も、わたしは良しと思ってやったけど、他人に言わせると何もそこまでしなくても、という選択肢だったかもしれません。うわっ、またすでに泣きそう。またなんとか堪えた。またよくやった自分。
こうやって、わたしは他人との距離感がうまく取れなくなっていきます。
「わたしは誰がなんと言おうとこういう性格なんです。自分の人生なんだから自分のやり方で生きさせてください。なんか文句ある?」
と、ふっきることが出来ればいいのかもしれません。
だけど、この「ふっきれる」ということも、職場や世間や自分が生きている世界で、何かを成し遂げた人が使う言葉な気がするんです。何も成し遂げていない人が「ふっきれた」と言ったって、そこにはなんの説得力もなく、それはただの諦めに近いのではないか・・・。
とにかくわたしはまだ「ふっきれた」という言葉を使えません。
この気持ちのまま家に帰ったら、鬱状態に入る可能性が高いな、とやっぱりなんとなく感じて、そのまま最寄り駅までバスで行き、大好きドトールでひとりお茶しながら、これを書いています。だいぶ気持ちが落ち着いた。
そういえばドトールの期間限定『梅グリーンティ』、あれめちゃ美味しくないですか?家で作れないかな・・・。毎年この時期に限定で登場するものなのだろうか。
開発した人に素晴らしいドリンクをありがとうと手紙を送りたい。ミラノサンドを半分ずつ食べやすいように、紙に包んでくれた店員さんに拍手喝采したい。エアコンが寒すぎて、すみません少し弱めてくれませんか?というわたしの要望を聞いてくれた店員さんにサンキュー!!とハグしたい。
ハイ、この4行がおそらく躁状態です。自分でも分かるので、実際に行動にはしません。でも、行動してしまうこともこの先あるだろうし、今までも似たようなことをしてきたに違いないんです。
自分がするあらゆる行動に対して、今は全て自信がありません。自分の言葉にも。
こうやって文章にしていると、ちゃんと落ち着いて書けるので、いくらでも修正できます。でも話す言葉は一度言ってしまえば、もう修正できません。
政治家が言う「記憶にございません」。こんな無責任でかつ便利な言葉、よく思いついたな・・・。
今は自分の気持ちを、この文章にしていくという作業で、上手くバランスを取っています。
こういう時は、本を読もう。没頭できる本を。
他人との距離感が分からない人が、今読むべき本。なんだろそれ。本屋さんに行けばあるかな?店員さんに、「他人との距離感をうまく掴めるようになる本を下さい」と聞けばすぐ出してくれるだろうか。探してくれるとは思うけど、わたしが店員なら心の中で、「でしょうね・・・」と思う。なのでそんなことはしませんよ。
それにしても梅グリーンティ美味しい。
今度、テイクアウトにしてKちゃんにも飲ませてあげたい。あ、また泣きそうになってきた。
早く本屋に行こう。