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しりとりのやりとり
今日の16時頃、タバコを買いにコンビニへ行ってきました。徒歩10分。
まだ少しだけ日差しが暖かいとはいえ、顔に当たる風が冷たかったです。
信号待ちをしていると、そこへ父・母・男の子・ベビーカー1台の家族がやってきました。男の子は幼稚園くらいで、無邪気そのものとしか言い表せない笑顔。
そしてお父さんとしりとりしていました。わたしも子供の頃よくやったなー、なんて考えていたら、なんとなくわたしの耳にそのしりとりが入ってきます。
子「しまうま!」
母「まだ渡っちゃダメよ」
ここで青信号に点灯。
父「よし渡ろう」
子「うさぎ!」
父「銀行」
お分かりいただけただろうか。この奇跡とも言えるしりとりのやりとり。
しかも家族全員そのことに気がついていない。
お父さんとお母さんは何か別のことを考えているので、しりとりにそこまで熱が入っていない。男の子はしりとりに夢中で、会話にそこまで熱が入っていない。
だからこそ成立したこの瞬間。
わたししかそのことに気がついてなかったのですが、これはツッコんだ方がいいのか、でもツッコんだところで「うちの家族は常にしりとりです」って言われたら「すみません」って謝るしかないし、そうなると「ん」になってしまってわたしが負けてしまいます。
でも気になって気になってしょうがない、奇跡を作り出していることを彼らに教えてあげたい。
結局なにも出来ずにいると、彼らは道を左に入って遠くの方に歩いて行ってしまいました。
後ろ姿を見送ることしかできず、無念です。
こうなったらnoteに書くしかないと思い、今ここで無念を晴らしているわけです。
この感動をリアルタイムで分かち合いたかった。それができなくてとても悔しい。
会話が噛み合っていない家族のようでもあり、同時にチームワークが素晴らしい家族でもあり、そこに愛という見えないものの存在を確かに感じました。
そして愛というものは、わざわざ作ろうとしなくとも自然にできてゆくものなんですね。
ちなみにそのあと入ったコンビニで、店員さんに「いらっしゃいませ」と言われた時に、ついつい頭の中で「せ」の言葉を探してしまいましたが、わたしがいるところがまさにセブンイレブンでした。
おっとまた「ん」がついてしまった。わたしはいつも愛を終わらせてしまうのね。ざんねん。