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嫌われる勇気
わたしは、揉め事が嫌いだ。
誰かと話していて意見が食い違うと、かなりの確率で相手に従ってしまう。
それは、意見がぶつかったときの「はぁ?何言ってんだよ」という空気が苦手なのと、異をとなえると相手に嫌われそうでこわいからだ。
要は、自分に自信がないのだ。
それが、そうも言っていられない事態が起きた。
わたしはいま、副業的に筆文字アートの講師をしている。
その関係で、他業種とコラボして作品展をすることになった。
こちら側のリーダーを任されたので、コラボ相手の代表と打ち合わせをしながら準備を進めているところだ。
先日、作品の展示方法に関して先方から少々無茶な要求があった。
展示する作品に傷をつけてしまいかねないその方法を、受け入れるわけにはいかない。
これがもし、わたしひとりの作品展なら、いつものように揉めたくない一心で飲んだと思う。
しかし、今回は他の先生方にも作品を出していただくのだ。
お預かりした作品は、そのままの状態でお返しするのが当然の礼儀だ。
そこは曲げられない。
言葉を選び、ゆっくり慎重に主張した。
わたしだけの意見では相手にされないので、前例がないことや、お偉い先生のお名前を出して説明し、しぶしぶながらもこちらの意向で進めていいと了解をもらった。
心からほっとした。
とても緊張したし、冷や汗もかいたが、いい経験だったと思う。
おかげで、すこし強くなれた気がする。
数日後、義理父から夫経由で「やってくれ」と言われたことが、どうしてもいやだった。
やってやれなくはないが、どーーうしてもいやだった。
嫌われたくなくて自分の心を諦めるか、嫌われてもいいから自分を守るか。
わたしは、後者が選べるようになった。
「お義父さんにダメな嫁だと思われてもいい、はずれくじだと思われてもいい。無理なことは続かないし、心がもたない。それはできないとわたしが言っていると伝えてくれていい。」
夫に話した。
それを受けて、夫がどういう伝え方をしたか、義理父がどう思ったかはわからないが、義理父の態度は変わりない。
わたしはというと、義理父の反応にドキドキしつつも、自分で自分のお城を守れたようで、とても誇らしかった。
嫌われるかもしれなくても、できないことはできないと、はっきり言う勇気。
ずっと欲しかったものが、ひとつ手に入ったようだ。
そして、案外心配しているのはこちらだけで、本当に嫌われることはあまりないのかもしれない。