おじいちゃんとわたし
友達のお父さんが、知事選に出馬することになった。よちよち歩きの女の子がおじいちゃんの街宣のお供をしているのを見て、その姿が幼い頃の自分に重なった。
私の祖父は市長だった。長年代議士の秘書をしていて、市議を経て、市長になった。
当時、私は幼稚園生だった。毎朝おなじ時間に、黒い車がおじいちゃんをお迎えに来た。「おじいちゃん、運転手さん来たよー」と祖父に知らせるのは私の役目だった。
外では「市長」と呼ばれていても、私にとってはごく普通のやさしいおじいちゃんだった。日当たりのいい廊下に置いた安楽椅子に腰掛けて、ちいさい私を自分の膝に座らせて、タバコの煙でドーナツを作ってくれたのを覚えている。
おじいちゃんは、たった1人の孫である私をそれはそれはかわいがってくれた。というか、超ド級の孫バカだった。公務で乗るヘリコプターに私を一緒に乗せてくれた。市のお祭りでちびっこ用のミニSLがあって、危ないから保護者は柵の中に入らないでくださいとアナウンスをしている傍から私が乗ったSLを追いかけて、「市長!」とスタッフに止められていた。
孫バカ過ぎて、ちょっとだけ職権濫用もした、かもしれない。私の入学に間に合うように、私が通う小学校の体育館の建て直し工事の工期を早めた。元々建設することは決まっていた案件で、時期を早めただけなので、もう20年以上の話だし、時効と思って許してやってください。
そんなおじいちゃんは私が小学3年生のときに亡くなった。私は政治の世界に興味を持った。だいすきだったおじいちゃんが見ていた世界を見たくなった。
実際、そういう話がなかったわけではない。『亡き祖父の跡を継いで立候補する孫娘』、こんな格好の素材を、お偉い先生方が見逃すはずがなかった。でも、結局私はその道には進まなかった。その時の私には、具体的なビジョンがなかった。政治家としてやりたいことが浮かんでいなかった。「立候補する理由、おじいちゃんみたいになりたいから」で通るわけはない。子どもの将来の夢とはわけが違うのだ。さらに「おじいちゃんみたいに」というわりに、私は祖父が何を目指して、何を大切にして政治活動をしていたのか、理解していなかった。「とりあえず出馬して、勉強して、それから考えればいいよ」と言われたが、書類にサインはしなかった。
そしていま、私は土建屋長男の嫁になった。やさしい主人とかわいい娘に囲まれて、多少ゴタゴタしつつもしあわせな毎日を送っている。あの時サインをしなかったことに、後悔はない。でも、選挙のシーズンになると、「もしあの時あっちの道を選んでいたら、私の人生どうなっていただろう」と考えることが、ないわけではない。あっちの世界を見てみたかったという気持ちは、確かにこの胸にある。
あの写真の女の子が、知事をおじいちゃんに持つ女の子が、これからどんなふうに育つのか、ちょっと楽しみだ。親戚のおばちゃん目線で、見守ろうと思う。