きれいなだけじゃない、人間味あふれるパリの街が好き 【フランスへのとびら 02】
6万5千部を超えるロングセラー『フランスの小さくて温かな暮らし365日』や、『ぎゅっと旅するパリ 暮らすように過ごすパリ』をはじめ、フランスやパリの街の魅力を、心地いい文章と写真で発信している編集ユニット「トリコロル・パリ」。
月刊誌「ふらんす」など様々なメディアにも連載し、多方面で活躍しているふたりに、20年を越えるフランス生活について、ひとりずつ、パリのカフェでインタビューさせていただきました。第2回は桜井道子さん。私の渡仏前にはパリの気候をこまめに知らせてくださるなど、とても気遣い上手の桜井さん。飾り気のなさが素敵な女性です。
消極的に選んだフランス語
パリに、暮らし続けて24年。今は「トリコロル・パリ」として、様々な書籍の執筆や翻訳、コーディネートなどを手がけている桜井道子さんが、フランスに興味を持ったのは、大学生の頃。
1970年代に京都で生まれた桜井さん。世代的にも海外への憧れが強く、実家ではアメリカ人の大学生のホストファミリーをしていたこともあり、子どもの頃から、英語圏に憧れを募らせていました。
ところが、他にやりたい言語がなくて消去法で選んだ大学の第二外国語のフランス語の授業で、一人の先生と出会います。言葉だけでなく、フランスやフランス語圏の国々の文化を紹介する授業がとてもおもしろく、はじめてフランスという国に惹かれ、両親に懇願して、思い切って大学を休学。フランスのトゥールに、1年間の語学留学をしました。
はじめはホストマザーの言うことが聞き取れず、最初の数か月はしんどかったといいます。慣れてきて、留学生活が楽しいと思えるようになったのは、4ヶ月が過ぎた頃からでした。
思い出の味はマダムのスープ
桜井さんにとって、はじめてのフランス文化体験となったホームステイ。ホストマザーがつくるフランスの家庭料理は、今でも心に残っています。
「忘れられない一皿は?」と聞くと、まっさきに「トマトのポタージュ」と答えてくれました。
「フレッシュなトマトとじゃがいもを煮込んで、ハンドミキサーにかけてシンプルな味つけをしただけのもの。新鮮な食材しか使わず、スープは絶対に手づくりする。それがとてもおいしかったのです」
自他ともに認める、食いしん坊な桜井さん。トリコロル・パリの本でも、飲食店取材を多く担当されていますが、そんな気取らない料理が心に残っているというのも心温まるエピソードです。
パリの新婚生活
1年間の留学を終えて、大学を卒業した桜井さんはIT企業に就職。夜遅くまで働く日々でしたが、数年も経たないうちに、遠距離恋愛をしていたフランス人の彼との結婚が決まり、フランスへ移住することに。
お互いの価値観から、自然に結婚する流れになったそうですが、そもそもフランスでは、家族になるために結婚は必須ではありません。
「結婚、PACS(成人二人が共同生活を行うための準結婚制度)、事実婚など、フランスにはさまざまな家族の形があります。そこに子どもがいる場合も、親が法的に結婚しているか否かは重要なことではありません。それぞれが、自分にいちばん良いスタイルを選べるところがいいなと思います」
フランスへ渡り、パリの小さなアパートでパートナーと暮らし始めた桜井さん。就職したばかりの彼と、力を合わせて生活していくため、渡仏してすぐに職探しをはじめ、3か月後には働きはじめました。
最初に勤めたのは日系企業で、カスタマーサービスの仕事。かかってくる電話のほとんどは日本人だったものの、たまにフランス人からの問い合わせもあり、フランス人の同僚もいて、働きながらフランス語を学ぶ日々に。
その後、日本人向けにパリ情報を紹介するフランスのWebサイトの運営会社に転職。本格的に仕事でフランス語を使うことになります。
「いわゆる上下関係はそれほどないものの、はっきり言いたいことを言う文化なので、反論できないうちは、フラストレーションが溜まりましたね」と、当時を振り返ります。
フランスでみつけた天職
そして、桜井さんが働きはじめて、1年ほど経った頃に入社してきたのが、のちに「トリコロル・パリ」として一緒に活動することになる荻野雅代さん。同じ歳で、ともに編集を担当していたこともあり、すぐに意気投合。
この会社での出会いがはじまりとなり、荻野さんとタッグを組んで仕事をするようになった桜井さんは、その後、フランスやパリのお出かけ情報を届けるWebサイト「トリコロル・パリ」を立ち上げ、以来、ふたりで運営を続けています。
活動の中心となる書籍の執筆や、「トリコロル・パリ」のWebサイトやSNSの更新のほか、コーディネートの仕事や翻訳など、個人の活動も多岐に渡る桜井さんですが、20年以上も一貫して、パリの情報を発信し続けています。
「パリがすごいのは、飽きないところ。同じ場所を歩いても、同じ写真を撮っても、一年前とは違うし、季節によっても違います。だから、全然飽きることがないのです。
フランスでは、日本ほどスムーズにいかないことが多く、うまくいかないこともありますが、この仕事をしているおかげで、街の良いところが私の中で常にアップデートされます。
例えば、英語を話せる人がすごく増えたし、日本人を見かけると英語で話しかける店員も多い。本当にいい意味で、パリの街も変わったなと思います。20年以上住んでいても素敵だなと思えるのは、パリの力だと思います」
パリを嫌いになった日も
今でこそ、こんな風にパリの魅力を語ってくれる桜井さんですが、フランスに来て最初の数年は、慣れない生活のさまざまなストレスのせいか、体調も崩しがちで、フランスを嫌いになった時期もあるそう。
日々のささいなことでいえば、郵便局に並んでいるのに窓口でぺちゃくちゃお喋りして列が一向にすすまないとか、マルシェでおばちゃんが横入りしてくるとか、道にいる変な人がいやな言葉を言ってくるとか。不快な思いをすることもしばしば。
でも、その後、いくつかの段階を経て、今では「フランスの良いところも悪いところもひっくるめて、私はこの国に住むことを決めた」と達観した気持ちなのだと話してくれました。
「あるときから、人のことが、本当に気にならなくなりました。それは、この国のとても良いところだという気がします。
たとえばビーチででっぷりしたおばさんがビキニを着ていても、だれも気にしないし、だれも何も言いません。好きなものを着ているだけなので。そういうところが、とても気が楽で、ものすごく解放されたなと感じています」
10年目の節目
桜井さんのなかで心境の変化があらわれたのは、フランスに暮らしはじめて10年ほど経った頃。子どもがうまれ、広がる世界のなかでの気づきでした。
「それまでは、仕事をしていても、どこか社会に属していないような気持ちがあったんです。フランス人の夫がいて、義理の両親とも関係がいいし、フランスの知り合いもできて、心配することはなかったのに、どこかふわふわとしていました。
それが、子どもがうまれたことで、同じ歳くらいの子を連れた親と公園や学校で会うと、フランス人も結局似たような子育ての悩みを抱えていて、私が日本人であることが関係なくなるんです。10年ほど経って、さすがにフランス語も話せるようになっていたので、やっとフランスに根づいたという実感がありました」
今では「変な人に絡まれたとしても、100倍言い返せますもん!」と冗談を言えるほど、内側からのいきいきとした自信が伝わってきました。
ミックスルーツの豊かさ
桜井さんは今、フランス人のご主人、ふたりの息子さんとともに、パリ郊外に暮らしています。子どもたちとの会話は、ママは日本語で、パパはフランス語。幼い頃から、毎年のように夏休みには桜井さんの実家がある京都へ帰省しているので、子どもたちは日本が大好き。
一方、子育ての環境としては、フランスならではのミックスカルチャーの良さを実感しています。
「小さい頃からさまざまなルーツの子どもたちと一緒に幼稚園や小学校に通い、遊ぶのは、すごく良い環境だと思います。
自分が子どものころに仲良しだった友達の顔ぶれを思い出すと、大人になってから、◯◯人はこうだよね、などと、雑にひとくくりにはしにくくなるように思うんです。そういう感覚が小さい頃に身につくのは、フランスで子育てすることの良さだなと感じています」
隣り合わせに生きること
少し聞きにくいことだけれど、個人的にとても気になっていたことを、思い切って聞いてみました。
2015年に起きたパリでのテロや、2023年夏に全国で若者たちの暴動が広がったこと、そういう社会情勢のなかで、パリの街や暮らしはどうだったのでしょうか。メディアの報道からは想像できない、現地の空気感を聞いてみたいと思いました。
すると、しばらく考えてから、言葉を選びながら、次のように答えてくれました。
「若者たちによる『暴動』は、フランスが抱えるさまざまな社会的・政治的な問題を浮き彫りにするものだと思います。ただ、実際には限られた地区で起こるもので、センセーショナルな報道が見せるものだけが真実ではないということは、フランスに暮らす者としてはお伝えしたいと思います。
テロについては、いつ何が起こってもおかしくないけれど、その中で日々生活していくことが、市民の抵抗というか…
パリ同時多発テロがあった2015年、住んでいる場所は現場からは遠かったのですが、今まで見たことのないくらいパリの街が沈んでいました。だけど、それもあっという間に、元に戻って、何があっても日常生活を続けることが最大の抵抗なのだとすごく感じましたね」
「コロナ禍のときには、ロックダウンやマスク着用の義務化など、さまざまな規制がかかりましたが、さすがのフランス人もここぞというときは意外とルールを守るんだなと驚きました。
外出禁止令が出た当初は、外出理由や時間を手書きした証明書を持ち歩かないといけなかったんですが、あっという間にその代わりになる、使い勝手のいいアプリが開発されて、やるときはやる国だな、と思ったのを覚えています。
また、ニュース番組では、大統領や保健大臣が、メモを見ないで1時間も2時間も質問に応え続けていて、とても頼もしく感じられ、安心感がありました」
ひとつの国に長く暮らすと、良いところも悪いところも、色々と見えてくるのがおもしろいという桜井さん。フランス人の真似したいなと思うところは、「何事もユーモアを持って、あまり気負わずにやるところ」だそう。まだ実践しきれていないのですが、と付け加えてくれました。
絵になる美しさ、だけがパリじゃない
暮らしも仕事も、20年以上に渡り、パリの街を見続けてきた桜井さん。きっと一言では言い表せないだろうなと思いながら、最後に「フランスの何が好きですか?」と聞くと、迷わずに返ってきた答えに、私も思わず頷いてしまいました。
「ただの、昔ながらの街並みがある、博物館のような街ではなくて、そこで生きている人たちがいて、うるさいし、雑多で、犬のフンも落ちてるし、メトロでケンカがはじまったりもする。暮らす人たちの生活感や人間味があふれている、そのギャップがこの街のおもしろさ。ただただきれいなだけじゃないところが、私はとても好きです」
フランスを美化することも、さげすむこともせず、ニュートラルで、友好的な目で眺めている。そんな桜井さんの視点で語られるフランスやパリの物語を、これからも楽しみにしたいと思いました。
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