元オリーブ少女が、フランスで見つけた自分らしい生き方 【フランスへのとびら 01】
6万5千部を超えるロングセラー『フランスの小さくて温かな暮らし365日』や、『ぎゅっと旅するパリ 暮らすように過ごすパリ』をはじめ、フランスやパリの街の魅力を、心地いい文章と写真で発信している編集ユニット「トリコロル・パリ」。
そのひとり、フランス在住22年の荻野雅代さんに、フランスとの出会いや、長く暮らす中で感じるフランスの魅力について話を伺いました。
軽やかで、いさぎよくて、チャーミング。それが、パリ10区のレピュブリックのカフェで初めてお会いした日の荻野さんの第一印象でした。
フランスに憧れたオリーブ少女
生まれは、新潟県の糸魚川市。のどかな自然に囲まれた小さな町で高校生までを過ごした荻野さん。田舎だったこともあり、とにかくテレビっ子。テレビや漫画、雑誌などが大好きでした。
当時は、槇村さとるの『ダンシング・ジェネレーション』など、外国を舞台にした漫画がはやり、留学ブームの時代。もうひとつ、10代の荻野さんに大きな影響を与えたのが、ファッション誌『Olive』。
「中学生の頃から買いはじめて、おしゃれが好きになりました。それまでは外国=アメリカという意識が強かったのですが、『Olive』に出会って初めて、パリジェンヌという言葉を知り、フランスの文化に深く触れるようになりました。」
『Olive』を入り口に、フランスの小説や音楽にも興味を持ち、友人のすすめで、シャルロット・ゲンズブールの初主演作『なまいきシャルロット』や、エリック・ロメール監督の『緑の光線』などの映画にものめり込んでいきました。
初めての外国はスウェーデン
フランスに惹かれながらも、大学は関西外大の英米語学科に進学。そして、大学3年生の夏、荻野さんが訪れた初めての外国は、北欧のスウェーデンで、語学留学をします。
南部のベクショーというこじんまりした町に住み、スウェーデン人の家庭でホームステイして、大学でスウェーデン語を学んだ一年間。初めての海外生活で、ずっと探していたパズルのピースのように、ピタッとはまったものを感じたといいます。
「新潟の田舎にいるときも、すごく楽しかった。だけど、心の中に『ここではないどこか』が常にあって、映画や音楽で空想の旅をしていたんです。そんな中、初めてスウェーデンでヨーロッパの空気に触れ、解放された気がしました」
スウェーデンは荻野さんにとって、第二の故郷になっていきました。このスウェーデン留学中のクリスマスに、初めてフランスへ。大雪で飛行機が遅れて、パリの空港に着いたのは夜遅く。道に迷ったり、ようやくたどり着いたユースホステルも満員だったり、初日から泣かされた1994年のパリの旅は、今でも鮮明に覚えているそうです。
人生が変わった27歳の夏
留学を終え、大学卒業後は上京して、スウェーデンの輸送会社に就職。
海外経験のある上司や同僚に恵まれ、仕事も充実して、ボーナスが出るとスウェーデンに遊びに行く充実した会社員生活を送っていた荻野さんですが、30歳が近づいた頃、もう一度海外に住みたいという想いが、ふつふつと湧きあがってきました。
当時はやっていた「ICQ」というチャットで、フランス人の気の合う友人ができたこともあり、ある年の夏休みに、思い立ってフランスに行くことに。
友人を訪ねて行った2週間の夏の旅。友人の親友を交えて、3人でいろんなところを回りました。その旅で一気に距離が縮まった友人の親友というのが、今のご主人。運命の出会いの後、日本に帰るやいなや、仕事を辞めることを決心。アパートも引き払い、翌年の1月には学生ビザを取得して、フランスに。その行動力には感心させられます。
「30歳を前に、この先どうしようと考えていた時期でした。夏のフランス旅行で将来の夫となる人に出会い、これも何かの縁かな…と。海外で暮らせるチャンスも今後は訪れないかもしれないし、万が一彼とうまくいかなくても、学生として1年間フランスに住めたら幸せじゃん!と気軽に考えていた部分もありました。今思うと、あまりに無鉄砲ではありますが…」
こうして、荻野さんはフランス人のパートナーとの出会いがきっかけで、ふたたび海外生活を始めることにしました。最初の一年間はパリの語学学校に通い、学生ビザが切れるタイミングで話し合って、結婚を選択しました。
「トリコロル・パリ」のはじまり
フランスに来てほどなくして、日本語求人紙『Ovni(オヴニー)』をみてアルバイトを始めた荻野さん。インターネットがはやり出した時代、日本人向けのパリ情報を発信するWebサイトで、初めて取材や編集を行うことに。そこで知り合ったのが、今「トリコロル・パリ」として、一緒に活動している桜井道子さんでした。
先に働いていた桜井さんとともに、パリのあちこちを取材してはWebサイトに書く日々。ふたりの活動を見てきた別会社に誘われて、パリのお出かけサイト「カイエ・ド・パリ」の運営を任され、活動を続けますが、さまざまな事情で「カイエ・ド・パリ」を離れることに。そうして、これからはふたりで好きなことをやろう、と始めたのが「トリコロル・パリ」でした。
「トリコロル・パリ」はWebサイトの名前でもあり、ふたりのユニット名でもあります。パリやフランスの情報を現地から届けるサイトは、すべて自分たちの手作り。荻野さんがデザインやグラフィックを手がけ、桜井さんがWeb制作を担当。写真も自分たちで撮り、自分たちで書き、お互いの文章をチェックする、というスタイルをずっと続けています。
デビュー作『パリでひとりごはん』のヒット以来、本の執筆依頼も絶えない人気ぶりのトリコロル・パリ。思わず足取り軽くパリの街を歩きたくなる、フラットな世界観で読者を惹きつけていますが、そこには次のような想いもありました。
「私も桜井も、見ているものはちがうし、家族や友人など環境もちがう。だから一概に『フランス人は〇〇だ』と決めつけることができないし、決めつけたくないのです。
例えば、フランス人はみんなバカンスをとって、のんびり仕事しているイメージがあるけれど、めちゃめちゃ働いてる人はいるし、残業もある。フランス人は歳をとることを恐れないとか、歳をとっても素敵な格好をしているとか言われるけれど、年齢を気にする人はたくさんいるし、それぞれの悩みを持っています。一方で、フランス人的なカラーも絶対にあるので、そこをどう抽出するかに、気を使いながら発信しています」
ナントと子育て
子どもが生まれたことをきっかけに、生活環境を見直し、荻野さん夫婦は2011年にフランス西部、ロワール川の河口に位置するナントへ移住しました。都会に憧れてきた荻野さんにとって、パリからナントへの引っ越しは、かなりの葛藤があったそうです。
「ナントは2時間もあれば回れるミニパリで、おもしろいお店や都会的な空気もある。自然にも触れられるし、渋滞もないし、空気もきれいないい環境。だけど、田舎で育った私にとっては、やっぱり都会のカルチャーやきらきらしたものへの憧れが強い。今はパリと行き来することでバランスをとっていますが」
フランス人の夫との子育てでは、こんな印象的なエピソードもありました。
子どもがまだ赤ちゃんだったころ、夫がおむつを替えたり、何か手伝ってくれるたびに、荻野さんはいちいちありがとうと言っていたそうです。すると、あるとき、「何で『メルシー』と言うの?(それって、お母さんが子育ての中心だと思っているから、手助けしてくれてありがとうという意味でしょ?)逆に傷つくよ」と言われたそう。
「フランスでは男性の育休もずいぶん定着しているし、小学校のお迎えにもふつうにお父さんがくる。同世代の夫が『いや、お母さんがメインじゃないでしょ』という考えだったことは、けっこう衝撃的でした」
やるときはやるフランス人
持ち前の好奇心と社交性で、どこへ行っても暮らしに溶け込み、そのときどきを楽しんできた荻野さん。歳を重ねるほどに、フランスが居心地よくなっているそうです。
「フランスは、個をおもしろがってくれる国だと思います。暮らしの不便さはあるけれど、きちきちしていないところが、自分にはすごく肌に合っています。
そして、個人主義と言われながら、一致団結するんです。デモ行進とか、意見を言うために仲間で集まったり。何かを守ったり、困ってる人を助けようとするときの、血がつながらなくても生まれる結束力(Solidarity)は日本以上だと思います。
個でいられて、必要なときは団結する、助け合い精神が意外とある。
そこがフランス人の強さだなと思います」
いちばんの魅力は、美意識
では、フランスのいちばん好きなところは?と最後に尋ねてみました。
「エレガンスやシックという言葉がありますが、フランスに来ると、肌で感じる美意識が確かにあるんです。日々の生活の細かいところや、さりげないところに美意識があって、自然にやっているのに、とてもエレガントに見えるのです。
例えば、ルーヴル美術館近くのパレ・ロワイヤル広場では、長らく工事が続いているのですが、その化粧隠しが鏡張りになっていて、周囲の建物が映り込み、あたかもオスマン様式の建物が続いているように見えるんです。工事の化粧隠しでここまでやる!?とびっくりしました。どうせやるなら創作しよう、遊ぼうといったクリエイティビティに、とても惹かれます」
心が惹かれる方向に、動きつづけて、今がある荻野さん。楽しそうと直感すれば、新しいことにも挑戦し、昨年は旧友である作家エリック・セナーブルさんとの共著で、日本を舞台にしたフランス語の児童書『SUSHI CRUSH』を出版しました。
「5年後のことはまったく分からない」と話すようすもどこか楽しげで、きっとこれからも、荻野さんらしいクリエイティビティで、日本にいる私たちに、フランスの爽やかな風を届けてくれるのだろうなと予感させてくれました。
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