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お茶菓子とカセットテープとフランス語

自分の人生に、大きな影響を与えてくれた3人との出会いをあげるとしたら・・
家族をのぞいて、最初のふたりはパッと思いつく。

この人との出会いがあったから、今の自分がある。
出会ってなかったら、きっと今、全然ちがう趣味とか、暮らしとか、働き方をしているかもしれない。おおげさではなくて、そんな風に思う人がいる。

わたしにとって、それは、一人目は中学の友人だ。映画日記を何冊も持っているほど大の映画好きで、出会った12歳の頃には、すでにずいぶんと映画を見ていた。彼女と仲良くなって、映画館で映画をみる楽しさを知ってからは、わたしもすっかり映画に夢中になった。

ハリウッドに憧れる友人と、フランスかぶれのわたしは、海外留学という共通の目標があったこともあり意気投合して、好き放題に夢を語り合ったり、学校帰りによく吉祥寺まで映画を見に行ったりした。

そして、二人目が、中学・高校・大学と、フランス留学を叶えるまでの約8年もの間、わたしにマンツーマンでフランス語のレッスンをしてくれた、恩師の北川先生だ。

フランス人の小さな女の子たちが話す言葉が分からずに悔し涙を流した中学一年の冬。フランス語を習いたいというと、母が連れていってくれたのが、かつて母が勤める会社のパリ支局に勤める前にフランス語を習っていたという、母と同世代の女性の先生だった。

フランスの大学で学び、FLEと呼ばれる外国人にフランス語を教える資格をとった日本人の先生で、原宿のマンションの一室にある先生の自宅で個人レッスンを行なっていた。朗らかで、やさしい笑顔のすてきな女性だ。

はじめは音から親しんで、フランス語の響きに耳を慣らす、文字を使わないレッスンがしばらく続くのだが、ゆっくりじっくり上達していく、先生の丁寧なメソッドが、わたしには本当にあっていたのだと思う。

月に2回、木曜日の学校帰りに原宿まで行って、先生の家で2時間フランス語のレッスンをする時間が大好きだった。

今はひょっとすると、もう少しデジタルな方法に変わっているかもしれないけれど、あの当時は、会話の音源をカセットテープで繰り返し何度も何度も聞いて、聞き取れた音を口に出してみるという練習をしていた。

パソコンだと何でもクリックで済んでしまうけど、カセットテープを巻き戻したり、早送りするときの、ぴゅるるるんという効果音がなつかしい。

フランス語には、女性名詞と男性名詞があったり、リエゾンとかエリジオンとか、音がくっついたりなくなったりする独特のルールがあるのだけど、きっと文字とにらめっこして、頭で理解しようとするとむずかしいところを、耳からはいって音で学んだことで、フランス語に対するとっつきにくイメージを持たずに、飽きずに続けられることができたのだと思う。

レッスンの日、先生の家にお邪魔すると、レッスンの前にお茶菓子とお茶を出してくれて、たわいもない話ができるのも嬉しかった。わたしの母は出版社勤めで毎日夜遅くまで働いていたので、学校から帰って母とゆっくり話したり、おやつが用意してあるような家ではなかったから、中学生や高校生のころはとくに、北川先生のことを、第二か第三の母のような感じで、慕っていたのかもしれない。

チーズが好きだという話をしたら、あるときは3種類のチーズを用意してくれて、エマンタールとミモレットとグリュイエールだったと思うのだけど、一口ずつ試食して好きな順を言ったら、ぴったり値段が高い順だったなんていうおかしな思い出話もある。

そして、褒めるのがとても上手な先生だった。

きっと違う先生に習っていたら、楽しいと感じられなかったら、中学生のわたしははやばやと飽きて、大学も仏文科にはすすまなかったかもしれないし、こんなにフランスやフランス語にこだわり続けていなかったかもしれない。

あの頃の自分にとって、フランス語を学んでいる時間が、とても大切な時間だった。


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