「余白」を考える。急ぎすぎた社会が行きつくのは
こんにちは。台湾在住のwebライター、Ayumiです。
今日は「余白」について考えてみることに。
ここで言う「余白」とは、「時間の余白」のこと。
今、この世界は、1秒たりとも止まることなく回り続けている。
わたしが寝ているときも、地球の裏側ではせっせと働く人間が大量にいて
次の朝にはニュースになって世界中に届けられる。
行き過ぎた資本主義世界で、生産しない時間は是とされない。
上に上に、前に前に進み続けなければならない。
人生設計だってそう。
日本の場合は、高校卒業したら大学、大学卒業が近くなったら就職先を探す。
何者にもならない空白期間は否定される。
隙間なく次のステップへ登っていく。
何もしない時間が、ない。
そういう世界では、人々の心はどんどん擦り減っていく。
先の先の、その先のことを考えて、今が曇っていく。
どんどん焦る。「何かしなくちゃいけない」って。
もはや現代病と言えるのかもしれない。
時間の余白を許されない世の中に、わたしはこのまま従っていいのだろうか。
「余白」のみつけかた
余白について述べているnoteを2本見つけた。
1本目 サステイナブルな私づくり
サステイナブルな社会を創る個人のはなし。
人やモノを待つことが少なくなった現代。
早く、より早くを繰り返して「時短」を追求した結果。待っていたのは、人間が「時短」に支配される世の中ではないだろうか。
2本目 日々に「 余白 」を作り出せていますか?
タイトルが秀悦。
「 余白 」に気づく方法をやさしく説いてくれる記事。
目の前のことだけに集中することにヒントがあるのかもしれません。
誰かと過ごすと、思いがけない「待つ時間」が生まれる。
誰かと時間を共有すると、当然マイペースには動けない。
多少は相手に合わせないといけないし、相手にアクシデントが起こったら助けたり待つ時間が発生する。
その瞬間、「余白」が生まれる。
何かを待つことによって、自分の時間が停止する。そこで初めて自分の意識を手放す豊かさを知る。
自分以外の主語に軸が傾いて、ペースをかき乱されている感覚が心地いい。
焦らないこと。
そして、上手く余白を確保できないと感じてしまっている方、自分を責めないでください。わたしは時代のせいだと思います。時間の流れが速すぎる。だから世の中のせいにしていいんです。
わたしたちは、自分に課されている「〇〇しなきゃ」を一つずつ脱ぎ捨てていけばいいのではないでしょうか。
だから海を眺めるのが好き
わたしは景色が広くて開放感がある、青い海が大好き。
自分の好きな場所で
イヤホンを耳から外して、ボーっとする日を一日3分でも作れば
忙しい時間の流れに巻き込まれ続けることなく
自分のメンタルをリセットできると思います。
今回のnoteは敢えて空白を多めに、内容もぶつ切りでお届けしました。
みなさん、もっと休んでいいんですよ。
それでは。