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映画「どうすればよかったか」…普遍的実家問題

実家問題

池袋シネマロサで見てきた。
私は既に様々な感想を読みこみ、ネタバレ済、
なんならパンフレットの内容まで知っている状態でようやく見に行けた。

「統合失調症」というインパクトのある症状こそ目をひくが
このノンフィクション映画に普遍性を与えたのは
「家族」という生活習慣病をあぶりだして描いたためだろう。
監督自身も映画内で
「これはお姉ちゃんの問題じゃなく、お父さんとお母さんの問題だ」と
指摘している。

パンフレットによると監督は随分前に医師からアドバイスを受けていた。
「両親のどちらかの体調が悪くなったときがお姉様を入院させるチャンス」と。
監督はずっとそのタイミングをうかがい
そしてついにその時が来て、お姉様を医療につなげることに成功した。
私は監督に拍手を送りたい。
彼は諦めずにチャンスを待ってついにお姉様を救ったヒーローなんだ。
どうすればよかったか、いや、それが唯一の正解!

と……人のことなら、軽く言えるものですが。
もちろんそんな単純に割り切れるわけなく
どうすればよかったか、と自問自答せざるを得ない監督に深く共感する。

おそらく多くの人々が実家問題のあれこれに無力感を抱いたことがあるのではないか。
「これ、おかしいよね?」「こうすればいいのに、なんでしないの?」
だけども だけど。
どこの家庭も話はそんなに単純ではないだろう。

私が思い出したのは父の介護だった。
父が介護状態になっても母は介護保険サービスを拒み続け
母と時々私でなんとか介護をしようとしていた。
藤野家と同様、複雑にからんだネットリした理由によって。
父の状態がさらに悪くなり介護生活はほぼ崩壊し
母は自らが体調を崩し入院しても、それでも他人の手が入るのを拒んだ。
結局、私がなかば強引に…いえ非常に強引に、脅しと怒りを爆発させて
ケアマネさんにつなげた経緯がある。

私はその経験を一方では誇らしく、一方では後悔をしている。
母も兄も誰もが見て見ぬふりをして放置していた後ろ暗い日常を
怒髪天の形相でスマホをぶん回しながら変えたパワーを誇らしく思い
一方で、もう少し穏やかにソフトランディングするやり方もあったはずだし
なによりも私の怒号がベッドで寝ている父にも聞こえただろうと考えると
晩年に随分と悲しい想いをさせたなと後悔をしている。
父の死後もしばらく母とわだかまりが消えなかった。
どうすればよかったか、と。

希望のない愛情

映画内でよく聞き取れず
パンフレットを読んでもよくわからなかったのが「医師免許」のくだりだ。
お姉様は発症後、大学を卒業して、国家試験を二度、受けたようだ。
後半、「国家試験受験を条件に自費で出版した占い本」が出てくるのだが
卒業後だいぶ経過した後も(かなり症状が進んだ後も)
ずっと試験を受けるようにお父様から言われていたのだろうか?
そのお父様の異常性が非常に気になる。

とはいえ、これにも私は親近感を感じる。
自分の子供の中学受験を通じて「教育虐待」する親の心理がわかる。
多くの親が正気を失う様を間近に見てきた。
世間的には非常に立派な立場にある良識的な親御さんが
「子供が今いる現実」と「目指すべき理想」の距離を
ある時からうまくつかめなくなる。
どんなに乖離していても諦めないのだ。
子供が素直な良い子だったりするのが最悪なパターンで
親の(病理的でない)狂気に子供が巻きこまれる。

おそらく藤野家でも同じ現象が起きたのではないか。
お父様は声を荒げたり押しつけたり感情的になる方ではないが
非常に我慢強く、自らの意志を強く持ち続けるタイプなのだろう。
お父様から優しく諭すように粘り強く説得され続けることで
お姉様は強く反発することもできず退路を見失い
追い詰められたのかもしれない。

しかしそれはお父様の愛情でもあったのだろう。
よく「教育虐待」は親の見栄によるものと言われるが
私はそんなに単純なものではないと思う。
本当に心底から「学歴」こそが幸福のパスポートだと信じている人はいる。
学歴だけが大切ではないとはなんとなくわかっていても
じゃあどんな人生が待ち受けているのか、がよくわからない。
開業医であれば患者さんと接するなかで
「いろんな人がいてなんとなく生きているもんだ」と肌で感じられるが
藤野家のように両親ともにアカデミックな基礎研究の世界で生きていれば
エリート社会外の一般世間への解像度が極端に低くなり
「医師免許を取れなかった娘の人生」をあんまりうまく想像できない。
それを絶望や尊厳の棄損と同義にとらえるしかなかった可能性も高いと思う。
ましてや娘が統合失調症であるなんて、現実世界の範疇ではなく
どこか遠い異世界の話だったのではないか。

お父様もお母様も「まこちゃん」をとても深く愛していたのは
画面から伝わってくる。
40歳を越え髪がボサボサのまこちゃんを可愛いと思っている。
イカリングをビールのグラスにいれられても
「あらあら、もー、仕方ないわね」
と赤ちゃんがボーロを床に投げたような受け止めをする。

実際、新生児との生活は異常だ。
普通に糞尿にまみえるし、昼夜逆転して眠れないのは当然だし
動物のように半裸で生活し、乳首が千切れそうになり血が出る。
異常な日常だ。
それでも時が流れればすっかり慣れてしまう。

急性症状が落ち着き両親が老いる前の10~20年目の藤野家は
もしかしたら異常なりに平穏で絶妙なバランスがとれた愛情溢れる日々を
過ごしていたととらえることもできる。

もちろんどうすればよかったかというなら
ご両親は現実を受け止めてなるべく早く医療につなげるべきだったと思う。
でもそうしなかった家族の25年間丸ごとを私は全否定できないとも思う。
そこに希望はなくても、愛情はあったのだ。

実家アンビバレント

だから家族は難しい。

散歩していると時々見かけるゴミ屋敷。
「なんでこうなっちゃたかなー」と思って通り過ぎるが
住人にとってそれはゴミではなく純粋な執着の対象だ。
他人の私には理解できないが
おそらく住人の家族はその住人がなぜゴミに執着するのか知っている。
知っているどころか、自分の生身に刻まれた血縁の歴史だったりする。

親が住んでいる家、かつて自分が住んでいた家を「実家」と呼ぶとき
本人は既に自立して別に住処を持っている時だ。
肉親でありつつもアウトサイダー。

アウトサイダーとして実家問題に挑めば忘れていた記憶が蘇って傷つき
肉親が必死に隠している問題に直面して心が抉られる想いをする。
その痛みを心底、腹立たしく感じながら孤軍奮闘するのは
愛情があるからというアンビバレント。

これはそんな実家問題を抱える人々のドキュメントだから
普遍性を感じるんだなと思う。

できればもう少し詳しい家族の歴史を読みたいです。
国家試験のくだりとか、お姉様がお母様の研究所で働いていた話とか。

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