ヴィゴツキーと破壊実験
前回からのつづきです。
ヴィゴツキーは発達を捉えるための手法について、下記のような主張をしています。
発達とはシステムの絶え間ない「崩れ」であり、それをとらえるには一種の「破壊実験」が必要である。[pp.1]
破壊実験がキーワードとして出てきます。
破壊実験とは何か?
「無意味語」を用いたヴィゴツキーの実験を例に挙げます。
被験者の前の黒板にさまざまな色、形、大きさの図形が置かれる。図形の裏面にはロシア語としては意味をなさない文字の組み合わせで構成された「無意味語」が書かれている。実験者はまず被験者の前でそれらの図形のうち一つを裏返し、そこに書かれてある無意味語を見せ、同じ無意味語が裏面に書かれてある図形を探しだすように指示する。被験者は、たとえばその無意味語が「小さい白い図形」を意味していると当て推量し、別の白くて小さな図形を開いてみる。ところが、そこには別の無意味語が……という具合に実験は進行していく。被験者がどのような順序で図形を開いていったのかが記録され、分析された。[pp.10-11]
この実験を通してヴィゴツキーは、子ども自身の思考の運動を目に見えるかたちで引き出そうとしていました。そのため、大人の思考が染み付いている日常語が排除され、無意味語が用いられました。
(無意味語の使用という考え方、おもしろい。
なにかのとき使ってみよう。)
無意味語を使って子どもの常識を揺らすことによって、「破壊」や「混乱」をもたらします。その様子を観察することで、子どもの思考と言葉の関係を明らかにします。それは、地震の振動によって引き起こされる建物の崩壊を観察し、建物の壁や柱の間で成立している相互の関係性を把握することと似ています。内的論理が地震の振動という外的で偶発的な出来事と出会うことをきっかけとして、どのように変化していくのかを記述していくことが必要だとヴィゴツキーは言います。
変化として注目すべきは、思考と言葉の関係性とその揺らぎです。思考とは、世界を分節化し構造として捉えること。言葉とは、音声を調整し、分節化して発する作用だと言います[pp.98]。この思考と言葉は構造を互いに与え合い、ともに揺らいでいる関係だといえます。その揺らぎを含めた全体を把握し、思考と言葉の問題を解決することで発達の観察が可能になります。
この著書には後ろのほう(V章)に、こうも書いてあります。
だがここで言葉と思考の複雑な関係が発達を可能にする、などと結論してはならない。ここで思考を停止したならば、それは擬似因果的な説明への回帰となる。内的論理における単位展開の水準に徹底的にとどまりながら、外部へと接近して(崩れて)いく必要がある。ヴィゴツキーはこの作業を内言論として展開する。[pp.149]
あくまで科学的であろうとする姿勢が主張されています。たしかにこの研究テーマで客観的な記述をしていくのはかなり難しいだろうなと思います。
つづく。