自伝:小学校高学年
小3の秋頃、祖母が学校から帰るといなくなっていました。
「あれ?買い物でも行っているのかな?」
っと待ってみるも帰って来ず
母親からいなくなった理由を告げられます。
いなくなった理由は、
人を殺しかねないと
役場と
私が通院している病院、
母親が通院している病院、
その3つが手を組んで私達を守る為に
祖母を強制入院させたのです。
その時、生き延びた心地がしました。
やっと痛みから逃れられる。
強制入院後に判明したのは、
「認知症で私たちを判別できなかった。」
っと言うものでした。
そして、普通の家庭を知る事になります。
普通の家庭は、
悪いことをしたら叩かれるけど
暴力がない、人格否定もしない、
腐ったご飯が出ることも無い、
褒めてもらおうと勉強したら褒められる、
賞を取ったら褒められる。
知らないことだらけでした。
家に居場所ができた事が嬉しくて
学校の先生に言うと、
「おばあちゃん嫌いなの?」
「認知症ならしょうがないね」「許そうよ」
私は、
「したらいけないことをしたのに」
「何でそんなこと言うの?」
っと地に叩きつけられ、
また殻に籠るように。
その時は限界に達し
自傷行為もさながら
二重人格になっていたと思います。
周りでは元気なのを演じて、
自室では疲れ果ててダウンする。
虐待は無くなったものの
生活が良くなる訳ではなく
トラウマや人間関係に苦しみ
小6の梅雨頃だったか雨の日でした。
親に連れ添われ精神科へ
診断されたのは、
・パニック障害
・ADHD
までは小児科で分かっていたのですが
・PTSD
・小児うつ
・起立性低血圧
・場面緘黙症
・解離性同一障害
が判明し投薬やカウンセリングが始まります。
それでも、
寝れるようになるだけで日々は変わらず、
強制登校されたある日、
担任からこんなことを言われました。
「お前は授業受けてないのにある程度理解できる頭を持っているし、絵も賞を全部取るくらい上手だ。おばあちゃんもいなくなった。何で学校に来れない?」
私は、頭が回らなく泣きながら
声が出ないけど必死に伝えようとして
「朝起きると頭が痛くて、学校来るとお腹痛くて、周りの目が怖くて、頑張るけど…」
っと言うと
「それは甘えなんじゃ無いのか?」
ここでも言われてしまい…
その絶望感は今でも覚えています。
もうダメなんだ
伝わらない
なんで分かってくれないの
誰か助けてよ
必死にSOSを出したつもりなのに
ソーシャルワーカーにも
保険の先生にも届きませんでした。
そして、中学校にあがります。