自伝:小学生低学年

そんなこんなで保育所を卒業し小学校入学へ…

全校生徒60人弱、
同級生10人弱の小さな小学校でした。

最初は通えていたのですが
途中から過呼吸や動悸、腹痛に悩まされ、
入学から3ヶ月で不登校となりました。

パニック障害・ADHDと診断され
リハビリに励むこととなります。

当時の生活サイクルは
7:00 起こされる
7:10 起こされる
7:20 起こされる
7:30 起こされる
7:45 学校から電話
8:00 起こされる
8:30 祖母からの罵倒
9:00 学校から電話
10:00 先生が家に来る
10:30 嫌がっても強制登校
11:00 保健室で休む
11:30 4時間目に出る
15:30 下校
16:00 帰宅
   逃げ出すように友人の家に遊びに行く
17:00 帰宅 殴る蹴る罵倒
18:30 父帰宅 散歩etc…
20:00 母帰宅
22:00 寝床に入る
2:00   就寝

地獄のような日々でした。

誰にも頼れない。
分かってくれない。
頑張ったのにもっと頑張れって
どう頑張ればいいんだろう。

頭の中ぐちゃぐちゃに。

辛いのに、
しんどいのに、
分かってくれない地獄。
祖母には罵倒され殴る蹴るもエスカレート、
父には施設に送り込むぞと脅され、
学校の先生には泣いてでも来いと脅され、

毎日、毎日、またか、
全部が終わってしまえば良いのに、
っと嘆いていました。

唯一の理解者がリハビリの先生だけでした。

リハビリの先生が転勤になり
通院も疎かになった頃
自傷行為から自殺未遂まで手を出します。

喉に包丁を刺そうとしましたが1cmしか刺せず
その傷もバレてしまい死ねませんでした。

こんな日々を繰り返した小3のある日転機が訪れます。

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当時は、不登校が悪とされてきた最後の時代でしたね。まだ、起立性低血圧もPTSDも教育者の中では浸透していませんでしたので「甘え」と言われた世代。今では大分違うのでしょうね…

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