学校に行けなかった理由

自伝では小3の秋に虐待も終わりを迎えました。

では何故まだ学校に行けないのか?

という点で振り返って考察してみました。

理由としては、

1.起立性低血圧で起きられなかったから 2.PTSD・パニック障害があったから
3.劣等感を感じてしまうから
4.学校教育に違和感を感じていたから

4つがあるかなと考えました。

まず、

1.起立性低血圧で起きられなかったからについて

「起立性低血圧」
簡単に言いますと、
起立後の血圧低下が長く続いてしまう状態。
通常では自律神経で体が瞬時に反応して、血圧を安定させます。起立性低血圧では、この調節が上手くいかず、目眩・頭痛・動悸等が発生し、ストレスを感じた時に更に悪化し朝から昼に症状が悪くなり、午後から回復することが多いものです。

私の場合は、
目眩と頭痛に伴う吐き気でした。

起きられず熱もない為周りからは
「怠け」「甘え」などの印象持たれ、

朝起きられない

登校時間が過ぎる

学校から電話が掛かってくる

でもまだ起きられない

学校から先生が家に来ると言う電話が再度掛かってくる

親に「先生が来るから起きなさい」
「起きなければ施設に入れる」と脅される。

でも起きられない

先生が家に来る

泣き喚いても先生が自室に入り2人掛かりで寝床から引き摺り出し先生の車に詰め込まれる

登校し保健室か教室へ

という生活を小学校6年間していました。

中学校にあがると恩師に出会う事によって
体の調子が安定してきます。
(それは後ほど…)

続いてそれに関連してくるのが

2.PTSD・パニック障害があったから

虐待でPTSD・パニック障害があり
その強制登校で更に悪化し、
解離性同一障害になります。

もう1人の私の記憶は無いので分かりませんが
登校する前は蕁麻疹が出るほど辛かったものでした。

その影響もあり、
解離性同一障害とパニック障害は寛解しましたが
電話が辛い・似ている人が目に入ると脂汗がでる等PTSDの影響は今でも続いています。

次に、

3.劣等感を感じてしまうから

今思うと真面目だったと思います。
褒められようとして勉強していましたし、
賞を取る為に絵をひたすら描いていました。

所謂、「世間体の良い子」を演じていました。

小学校までは必死に食らいついて周りに劣るまいと頑張っていましたが中学校にあがるとプツンと糸が切れてしまい勉強しなくなってしまいました。

小学校では勉強を出来ていて、
中学校の1番最初のテストでは上位にいたのに、
勉強しなくなり時事情報が好きだったので社会を除いて全てが最下位に。

「成績が落ちてしまった」

っと表に出た時劣等感が更に増すのでした。

恩師と出会った後、
中2の冬転校することになります。

転校した先では虐めに遭いましたが
フリースクールも隔離教室もあり
勉強は手をつけなくなってしまいましたが
居場所は確保できていたと思います。

そんな時に出会ったのが「釣り」なんですけどね。
(それもまた後ほど…)

最後になりました、

4.学校教育に違和感を感じていたからですね。

子供ながら大人びていたと周りの人は言います。

違和感を感じたのは小学校の低学年の頃。

私は絵が好きなのですが、
小2の夏の夏休みの宿題で風景画を描いたんですね。

遠近法を調べて、
どうやったら奥行き出るのかな?
色もこの色混ぜたら影の部分を演出できるかな?
っと工夫しながら描いて道沿いに咲く向日葵の絵を描いて提出しました。

放課後迎えを待っていた時
体育館付近で遊んでいたのですが
偶然トイレで入って出た時
体育館で私の絵を講評していた先生達が

「遠近法など分かるはずない」
「影に青も緑も赤も混ぜておかしい」
「子どもらしくないから入選で良いだろう」

っと言い、
特選を外され入選にされてしまいました。

言葉も出なく凄くショックで暫く呆然とした後

「出る杭は打たれるのだ」

っと悟ってしまい
学校に違和感を抱くようになってしまい
その後も理不尽だと思わせる出来事も続き
より学校に行けなくなってしまいました。

以上が今考えられる理由かなと思います。

普通に学校行って勉強してが羨ましく
今でも羨ましく劣等感を抱いています。

普通に生きたかったなぁ…

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