自伝:中学校(前編)
そんなこんなで小学校を卒業し、
中学校にあがります。
学校規模が同級生が10人弱から70名超になり
大きな変化があった中学校時代。
担任が美術部の受け持ちであり
初めて自分を受け入れてくれた先生でした。
この先生がいなければ生きてなかったと思います。
海外を経験し日本に帰国され教師をされている方で英語教師と美術教師を両方熟す珍しいタイプの先生でした。
朝が辛く起きれなかったのなら、
「部活だけでも来てよ!
絵描くの好きでしょ?」
学校を休む時には、
「絵見せてよ!」
などポジティブに寄り添ってくれ、
教室でも部活内でも友人が増えました。
自分を理解してくれる友人が増え、
恩師にも会えた。
母親も応援してくれるようになった。
辛い中でも楽しみを得ることができ
心の拠り所となりました。
しかし、好きだった勉強には手をつけられず、
小学校では上位だった成績も落ち、
中学校の一番最初のテストでは10位以内に入っていたのに、好きだった社会を除いて最下位に。
「劣等感」を更に感じるようになりました。
友人に「最下位やった!」っと笑って言ってましたが、笑ってもらえる事によって劣等感を掻き消していました。
絵の分野では美術部に入り
恩師のもとで引き出しを増やしデッサン力もつけ出したコンクールには必ず賞をつけてかえってくる。
それだけが生き甲斐でした。
学年が上がり中2の時、
恩師が移動になり、
担任の先生が代わり美術の先生も変わり
拠り所が友人しかいなくなってしまったので
登校する回数が減り引き篭もる回数が増え、
週に1-2回部活に行ければ良いかな?くらいに。
相変わらず躁鬱状態が続き、
中2の冬、父親の転職で転校する事になります。
転校した先では、中2の終わりという事で
グループも出来てしまい居場所が無く
都会という事での性格の差から
虐めのターゲットとされました。
暴力自体無かったものの「言葉」で殺されました。
最初の1ヶ月は頑張って朝から登校していたものの続かず、昼から登校する感じに。
給食は机をくっつけるも1人で食べ、
食べ終わったらすぐ机を離し1人絵を描く。
見兼ねたALTは担任に抗議するも
「She…amm…always.」
っと相手にしてくれず
ALTは
「Are you okay?」
「I'm all ears!」
など優しくしてくれた記憶があります。
幸い英語はあまり喋れませんでしたが聞き取れる耳は持ち合わせていたので度々相談相手になって頂きました。
その甲斐があってか、
保健室登校・別室登校・フリースクールに入ることも決まり、休む事が多い中、体調が良い日は午前中はフリースクール、給食を食べて別室登校か保健室登校して部活をして帰宅すると言うサイクルが生まれました。
部活に関しては画家さんの良い先生で
自分の絵画スタイルを確立して頂きました。
後から話を聞くと前の中学校の恩師とは師弟関係だったそうです。
幸いなことに部活内では話す人も多く、
良い刺激になりました。
そして受験を考えなければいけない中3になってします。