『コレクター福富太郎の眼―昭和のキャバレー王が愛した絵画』
『コレクター福富太郎の眼―
昭和のキャバレー王が愛した絵画』
東京ステーションギャラリー
いやもうなに!!!すっっごいよかった!!!すっっっっっっごいよかった!!!!良質すぎる、あまりにも良質すぎる作品ラインナップ!!!!!!あまりにも良すぎて2周してしまった!!!!!!めっちゃ目も心も喜んでる!!!!本当に良いものを見た!!!!スーパー荒ぶり遠藤!!!感受性100!!!!!ていうか誰よ福富太郎て!!!!すごすぎるよ福富太郎!!!!ほんまにありがとうな福富太郎!!!!!
というわけで、福富太郎(ふくとみ たろう)さん、1964年のオリンピックで日本の景気がよくなった時に全国に44店のキャバレーを経営していた凄腕実業家であり、最強コレクターだそう。キャバレー経営に目をつけてるあたりからわかるけど、酸いも甘いも噛み分けてきた感がすごい。世の中や人間の裏も表も知り尽くしている。そして“本物”をめちゃくちゃたくさん見てきてる。でないとこのラインナップにはならない。
先日行った『あやしい絵展』の目玉作品だった鏑木清方の「妖魚」や北野恒富の「道行」は福富太郎コレクションから貸し出されてるということからもわかるように、彼のコレクションはどちらかと言うとお行儀よく美しいものよりは、どこか狂気じみた作品が多いように感じます。でもただミーハーな俗っぽい作品たちというわけでは決してなくて、冒頭にも書いてる通り、良質、否、上質。最上級。超ド級のセンス。いやほんとすごい。『あやしい絵展』に行った時に感じた大衆に迎合したキャッチーなキュレーションにちょっと引っかかってはいたけど(それでも素晴らしい展示やった)、このコレクション展では福富さんのマジの本気審美眼を存分に堪能できるので、『あやしい絵展』に行きそびれた方は本展に絶対に行った方がいいです!!!
というわけで、館内に入って早々に鏑木清方の美人画を中心とした13点の作品が見れるのですが、なんかもう、清方ってほんまに奇跡みたいな人なんやなって改めて感じました。うゎぁ…美し…って心の底から溜息がこぼれる。絵描き終える時、最後メロメロパンチレベルのうっとりの魔法かけてると思うわ。
近松浄瑠璃の男と女の絶望逃避行「冥途の飛脚」をもとに描いた「薄雪」では、演歌よろしく泣きを煽る壮大なメロディになってしまいがちなところを清方はピアノソロで繊細に奏でてくれるんや…。綺麗やん…。ちらちら降る雪がほんの少し髪の毛や着物に積もってたりすんにゃけど、ほんまそれだけのことやのに美しすぎて心がギュッとなる。ほんで顔色が悪いねん2人とも。指先も赤らんでる。抱きしめ合ってるけど、身も心も寒いんやろなぁってのが伝わってきてめちゃくちゃ辛くなる。まんまとこの話に感情移入してしまってる。やられる。
そして黒アゲハ蝶と芥子の花が彫られた「刺青の女」や谷崎潤一郎の「人魚の嘆き」からイメージして描かれた「妖魚」は清方の作品の中で肌の露出が高い絵ですが、その2つともを福富さんが持ってるのもおもしろいなぁと思いました。普通の人やったら清方作品なら「築地明石町」みたいなTHE美人画がほしい!と思いがちやけど、こういった清方らしからぬ異色の作品は福富さんが持ってるからこそ活きる作品やなと思いました。持つべく人が持ったって感じ。
さて、近代日本の美人画は“東の鏑木清方、西の上村松園”が二大巨頭と言われていますが、福富さんは上村松園の描く綺麗過ぎる京都の女は好かんらしく、松園の作品は1つしかありませんでした。遠藤は京都の女なので松園の自立した強く勝気な美人画が好きなのかもしれへんなぁと思いました。東の人からしたら怖いんやろな、松園。私は好きやで、松園。
ちなみに清方は松園リスペクトで「松園の作品は自らの目標であり、裏返しても見たいほどの欲望にかられた」という記述が残っています。小村雪岱展の時も思ったけど、ほんまにええ人や、清方。
というわけで本展では「東」の画家と「西」の画家とで部屋がわかれているので、福富さんがどういう好みだったのかもとてもわかりやすい構成になっています。どっちもほんまに遠藤の趣味にも合致し過ぎてる&珠玉の名品だらけで、全部好き!!!!!大好き!!!!ありがとう!!!!大興奮!!!!としか言いようがないのですが、東の方で特に好きだったのが池田輝方と池田蕉園です。
夫婦で日本画家で、相互に影響し合ったり手を取り合って描いてるのもおもしろいなぁと思ったのですが、2人が描く美人画は、女が誰しも抱えてるだろう欲や負の感情や脆弱さが滲み出てるような印象を受けながらも、それ以上に目の覚めるような柄の組み合わせ、色の鮮やかさがとてもモダンで、その華やかな美しさが逆に空虚に思える気がしてうまいなぁ〜!と感激しました。輝方の「幕間」は女性が美しいだけじゃなく、男性もイケメンで、美人画でイケメン久しぶりに見たのでええなぁと思いました(え)。蕉園の「秋苑」は蝶々を目で追うあどけないねこにゃんがめちゃかわきゅんです♡
あと東の作家の中で小村雪岱はほんまに存在が稀有。空気感を表現するのがうますぎる。秒で感情移入できる構図になってるから目に飛び込んてきたその絵を一瞬見ただけで切な過ぎてどうにかなってしまいそうやった。
では西の作家ですが、こっちももうアベンジャーズレベルで甲乙つけてる場合じゃないんやけど、島成園がやっぱ好きです。『あやしい絵展』の時に顔に痣のあるこちらをまっすぐ見つめる女性(自画像)を描いた絵『無題』を見たんやけど、その実際にはない痣は彼女が誹謗中傷で受けた傷を表現してて、男性優位の画壇や根も葉もない噂を立てる世間に向けた異議申し立てをしているんやと知ってからとても気になる画家でした。本展では「春の愁い」「おんな」「春宵」の3点が見れますが、彼女の描く女性を見ると、女性がどれだけ化粧や服という外面的な部分で鎧をつくっているかということが伝わってくるし、男性が理想化している女性の美しさや神秘性やエロとは違う視点での内なる魅力や素を見事に描き出してて、なんともグッと引き込まれる絵を描く人やなぁと。おどろおどろしさもありつつそこに救いも感じる。
京都の上村松園、東京の池田蕉園、そして大阪の島成園は「三都三園」と呼ばれてますが、本展でその3人のいい絵をじっくり見れたこともとっても貴重な時間でした。3人のこと、引き続き知っていきたいです!
あと北野恒富の「道行」はさすがにたまらん。二人が繋いでる手の部分を見るだけで全身に鳥肌が立つ。心中もんやのに金屏風でそのちぐはぐした不穏な色合も逆に怖い。
その後の構成は、日本画から洋画の作品に移るんやけど、岡田三郎助の「あやめの衣」、「ダイヤモンドの女」も福富さんのコレクションやったとかもうこの人すごすぎひん?!びっくりすんにゃけどほんま。ポーラ美術館では分厚いガラス越しに「あやめの衣」が見られるのですが、本展ではめちゃ間近で見られたので、背中の肌の絶妙な色の重なりや青の美しさをより鮮明に見ることができてほぉおおぉとなりました。そやけどやっぱ「女性の背中がチラ見えしてるのほんのりエロくて綺麗でしょ?」みたいな男性の理想的な誇張された女性の美っていうのはなんか品がありそうでないもんやなと思いました。最近めちゃくちゃフェミニストになってきてるなぁわたし。
最後の部屋は当時は美術的価値はないと言われてた戦争画のコレクションだったのですが、福富さんは自身が幼少期に第二次世界大戦を経験しているからこそ戦争画を残していかなあかん必要性を感じたはって集められてたそうで、コレクターとしての姿勢が本物すぎてぐっときました。しかもなんか東京都現代美術館の常設展で見たことあるなぁと思ったら、福富さんが多くの人に見てもらう必要があると判断して寄贈したものと知って、激胸熱。藤田嗣治の「千人針」、向井潤吉の「影」など素晴らしい作品を久しぶりに見れて、改めて戦争という過去を過去のものにしたらあかんなと感じる機会にもなりました。
最後に福富さんの写真があんにゃけど、部屋に暁斎の「幽霊図」がかかってたんやけど、これもコレクションしてたってこと??!?片目に金が入ってるめっちゃ怖いやつ。はんぱねぇな福富さんまじで。集めてるラインナップのブレなさが凄すぎる。
というわけで、福富さん、すごかった。壮大なドラマを感じた展示。作家1人1人、作品1つ1つに対する愛情が凄まじいのと、アートの力をほんまに信じている。そして当時価値があるものをこぞって集めたというよりは福富さんがいいと思ったものだけを作家本人と交流しつつ集めたっていうのがコレクションの濃度がこれだけ濃いのものになった理由やろうし、「好き」の力ってほんまにすごいなって。最強のオタク。オタクの鏡。エネルギッシュなとてつもない「気」と「愛」を浴びれることができて、なんだか泣きたくなるほど嬉しくなったし、ほんまにいい作品をたくさん見れたことで心がほくほくです。改めて「芸術が大好き!!!!」と東京駅で叫びそうになりました(やめろ)