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「献身的サポート」吉と出るか、凶と出るか

正直、ごめんなさいって思う。
だって、わたしは献身的な妻ではないから。
わがままな支え方しかできない。
それはわたしの努力が足らないからなのか、生まれ持った素質なのか。わたしには分からない。

けれど、やってもいないのに、できないというのはただの逃避にも見える。どうして、わたしはそこまでして献身的サポートをしたくないのか。

思い当たるのは、母の姿なのかもしれない。母の場合、支えた相手はわたしの妹だった。
生まれつき障害の妹を、それはもう全身全霊で支えていた。守っていた。
それによって母は、介護のせいでからだはボロボロだ。ただでさえ妹のことでいっぱいな時期に、私が怪我をして、更に負担が増えて結果的に病気も患った。

妹のために、家族のために、献身的にサポートしたことが、かえって母の人生を狂わせてしまったのではないかとわたしは思っている。
母はそれを否定するかもしれないけれど、わたしの目にはそれが真実に見える。

もしかしたら母は、無意識のうちに自分の人生で起きた目を背けたいような出来事たちから、距離を取りたかったのかもしれない。それが、献身的サポートをかけることで、忘れられたのかもしれない。

母は、華やかで社交的な人だ。それが、障害の娘を抱えて、毎日髪を振り乱して母子保育をしていたなんて、ほぼ100%の人が耳を疑う。

仮に、母が育児そこそこで、自分の夢に歩んでいたなら。母としては、娘からこれほど信頼を厚く勝ち取ることはできなかったかもしれない。けれど、母の描く夢は、あのパワフルな母ならなんでも叶えられたんじゃないかと思う。

だから、献身的サポートは必ずしも良きものではない。サポートする当人の人生を歪めてしまう、という観念がわたしのなかにある。

けれども同時に、母はこの未来を選択したから、こうなったし、こうでよかったということも分かっている。だから、母の選択を否定はしていない。むしろ、それでも私たちを選んでくれたことにとてもとても嬉しい。

さてはて、これからわたしはどうしようか。

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