「人は死んだ時に、その人の行いが分かる」は本当か?
お葬式へ行ってきた。
祖父のお葬式だった。わたしも知らない色んな事情があって、とても質素なお葬式だった。
わたしは比べた。
義父のお葬式と。
義父は、周囲からの信頼も厚く、とにかく愛されていた。親戚からも、地域からも、仕事仲間も、取引先も。それはお葬式を見れば一目瞭然だった。
会場に収まりきらずに、表にも飾られたお花の数々。ぎゅうぎゅう詰めの斎場。火葬場まで押し寄せる人、人、人。
田舎の名士とでも言うのだろうか。
それを見ていたわたしには、正直、祖父のお葬式は残念にも思えてしまった。
でも、なんだかおかしいな。
どうして、お葬式で人を判断してしまうんだろうと。
「人は死んだ時に、その人の行いが分かる」とか言うけれど、行いが悪かったらいけないのか?行いが悪かったら、人としての価値が低いのか?
違うよな。
どんな人生を歩んだって、その人の価値は変わらない。
祖父だって、義父だって、誰であっても、それぞれに素晴らしくって、誰にも代えられない魅力がある。
光があるから影があるように。どちらもこの世界には必要な存在。
人としての価値は何も変わらない。
どんなに悪い人だって、意味があってここにいて、この世界のバランスを保つために存在する。
いい人ばかりに目が行きがちな世の中だけれど、本当はどちらもかけがえのない存在なんだ。
社会的評価や目先の物事に惑わされずに、愛で見れる人にわたしはなりたい。そう思った。