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わたしたちはいま、大切な時間を過ごしている。

先週は、久しぶりの関西滞在を楽しんだ。子どもが生まれるまでは、年に数回訪れていた大阪が3年ぶりだなんてびっくりする。子育てに集中していると、そんな月日が経っていることさえ忘れてしまう。

わたしはそれに対して、ネガティヴだった。本当はもっと自分のビジョンに対して行動したかったから。

けれど、子どもの小さな時期はあっという間。子どもがママ、ママと欲してくれる日なんて、大きくなったら二度と戻ってこない。振り返れば分かるけど、当時は到底そうは思えない。
もし、いま同じ境遇の人がいたなら、それでいいんだよ。十分できてるよ。そう伝えたい。二度と戻ってこない時間のことなんか、考える余裕は育児期の両親にはない。

そう、だから、これでいいんだ。この数年、わたしはある種、うちに籠り、八ヶ岳に籠っていた。メルタルがキツくなりながらも、四六時中子どもと一緒。まともなひとり時間はなかったし、その上旦那までお荷物に感じていた。

けれど、それで良かったんだ。その分、ひとりで育児を背負ったという記憶はない。ほぼ家にいる旦那のおかげで、夫婦で幼い二人の子どもたちを見守れたという感覚がある。

ある時は、バイト通いをする旦那を1台しかない車で、保育園前にみんなで送りに行った。そのあと、また家の反対方面へ長女を送りに行く。この後は長男とべったり日中を過ごす。そしてお迎え時も同じローテーション。八ヶ岳を行ったり来たり横断していた。週3日くらいだったけど、その日は子どもと旦那の送迎だけで、2,3時間は拘束されてしまう。すぐ空腹になる子どものごはんを車に積み、終わり時間の不規則な旦那の連絡を待ち、保育園と旦那の迎えの時間を調整する。
早く笑い話になってほしい、早くこの日々が終わってほしいと思いながら毎日を過ごしていた。いつかは終わる、それが命綱のようだった。

けれど、送迎の合間の時間つぶしで、子どもとよく馬を見に行った。大変な時だったけれど、2-30分くらい馬をずっと眺める。着替えを嫌がる子どもを寝起きのまま車に載せた日には、馬を見ながら車内で着替えをさせた思い出も懐かしい。朝食をここで取ることもあったっけ。

本来の私たちの才能を持ってしたら、なんてアホなことをしているんだとツッコミがきた日もあった。ただ、当時の私たちにはそれがベストだったみたいだ。だからこそ、振り返れば微笑ましいエピソードがたくさんできた。

同じ過去でも、認識次第で書き変わる。できていないことに目を向ければ、無限と広がる手付かずの沼。けれど、いまに目を向けてあげれば、日々たくさんの収穫があったことにこうして気が付く。

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