ピクニック
正午過ぎまで曇り。一昨日は暖かくてコートを部屋に置いて出かけても平気だったが、今日はコートを着ても寒気が布越しに伝わってきて、体を摩らずにはいられない。
ただ、肌寒くても、ピクニックをするには雨が降っていなければいい。みんなで食べるためのたまごサンドの具とパン、サラダを持って出かける。バスの中、冷蔵庫から出したばかりの具やサラダを置いた膝のあたりが冷たい。
でも、待ち合わせの場所に着く頃には暖かくなってきていて、背中に差す日の光が体を温めてくれる。約束の時間に遅れるかもと思っていたが、早めに着いた。
Quinconces広場でパオラと合流し、Jardin public という公園へ向かう。「ヘーイ」と言う声の方を見ると二人が既にシートを広げて座っているのが見えた。
学校で時々見かけていた人だ。一人はタイから、もう一人はスペインから来たという。名前も教えてもらったのだが、すぐ忘れてしまって覚えられない。
パオラも含め、今日のピクニックに来ている女性たちは皆、ベビーシッターをしながら週に二回学校で授業を受ける au-pairという方法で学校に通っている。少し期間がずれる場合もあるようだが、彼女たちにとって今週はバカンスの期間らしい。
「子どももいないし、家で一人で過ごせるなんて、バカンス最高〜!」と言うので、子どもが嫌いなのかと聞くと、そうでもないと言う。だが、自分の子どもが欲しいかとパオラが聞くと、2人はそろって「Non」と即答した。
「まだ先のことだからわからないけど、今はそうしたいとは全然思わないな。ここでベビーシッターをする前は子どもがいたらいいなと思っていたけれど、今は疲れちゃってこりごりという感じ。」
「わたしも。だって、ねえ、見てよ、これ」と言って取り出したのはスマートフォン。一見なんともないが、カバーを取ると背面が蜘蛛の巣のようにひび割れている。
「子どもが私のスマートフォンを放り投げて、割れちゃったの…」
この話をしている途中にさらに2人が到着していたが、それを聞いて全員の口から「Ah…」という残念さと共感の入り混じったため息が漏れた。
人が集まってきたところで、持ち寄った食事を広げて食べ始める。
タイ人(名前は失念してしまった)の彼女が作ってくれた春巻きは甘辛いチリソースと醤油・オイスターソースで味付けされた具材がよく合っていて、日本のそれとは少し違うけれど、とても美味しかった。私はお腹が空いていて、みんなが食べな食べなと勧めてくれるのをいいことに三つも食べてしまった。
また、アルゼンチン人のソフィアが持ってきてくれたマテ茶も、学生の頃に行ったアルゼンチンの記憶を思い出す懐かしい味だった。アルゼンチンの広大なパンパ(南米の草原)とガウチョ(カウボーイ)を想起させるようなスモーキーな味わい。アルゼンチンではこれを同じ容器とストローを使って飲み回すことが仲間入りのサインになる。はじめは同じ容器で飲みまわすことに抵抗感があったが、一度経験してしまえば気にならなくなる。
パオラやソフィアをはじめ、スペイン語を母国語とする人が多く集まっていた。わたしも大学の第二外国語でスペイン語を選択していたし、タンゴの歌詞はスペイン語だから歌うのにそれなりに勉強したので、聞いているとわかることもある。だが、話すとなるとまったくダメで、フランス語しか出てこない。スペイン語がまったくわからない人も、フランス語にも不慣れな人もいたので、英語で話そうとするのだが、それすらも忘れかけている。
言葉の話の流れでタイ語について尋ねてみる。タイ語は文字がまったく異なるし、同じ「マア」という一語でも発音の仕方によって意味が変わるのだと言う。中国語では四声だが、なんとタイでは五声で、それぞれ発音して聞かせてくれたけれど、そのうちの2つは違いがまったくわからなかった。
日本語についても3種類の文字を使い分けているんでしょう?と聞かれる。そうだね、漢字、ひらがな、カタカナ。と答えるとパオラが、うへぇ、と言う表情で苦笑いした。
考えてみれば日本語だって同音異義語がたくさんある。一音が必ずしも一語だけに対応するわけではないので、漢字をイメージできないとコミュニケーションをとるのが難しい。私は中学生の頃、受験勉強をしていたときに「日本語で話すとき、人々は頭でどの字を書くかをイメージしている」ということが書かれていた文を読んで、その時はじめて漢字を勉強する重要性を自覚した。確かに文脈からどの字、どの言葉かをイメージできないと頓珍漢なことになってしまうだろう。
その後、スペインではSiesta(昼寝)は2,3時間寝るそうだが南米ではそれほど長くはない、とか、コロンビアから来た背の高い女性がサクソフォンを弾くと言うので一緒に何か演奏しようね、と話したことは覚えているが、恥ずかしいことに食べるのに夢中になっていて、何を話したかあまり覚えていない。