滞在費増額の危機と一か月の出費
授業が終わったら、受付のリザのところに行ってね、と言われた。
なんだろう。先生であるエロイーズは「大丈夫よ、心配しないで」と言ってくれるけれど、心配になる。たぶんホストファミリーのことだ。ここに来てもうすぐで2ヶ月なので、このまま同じところにいるかどうかの確認をするのだろう。
予想通り、リザに確認されたのはホストファミリーのことだった。「同じところにいたい?」と聞かれて、はいと答える。だが、彼女が続けて言ったことに耳を疑った。
「わかったわ。でも、あなたは一年分の授業料と11月9日までのホストファミリーの滞在費は支払いが済んでいるけど、同じようにホストファミリーのところに滞在したいなら、追加費用を支払う必要があるわ。」
は?
無理だ。
というか、すでに支払っているはずだが。
え、もしや、滞在費はあれだけ高額だったにもかかわらず、たった2ヶ月分だったということなのか?
そうなったらもう荷物をまとめて帰るほかない。
一瞬のうちにこう考えて、日本に帰ることも覚悟しかけたが、支払い証明書を持っていることを思い出したので一緒に確認してもらう。
リザはそれを見たあと、「うーん?」と彼女のパソコンで改めて私のデータを確認した。覗き見ると、そこにもホストファミリー滞在費は既に一年分支払われているとある。
彼女は「ごめんね、確認するね」と言って、近くにいた別の同僚のもとに確認しに行ったが、すぐには確認できなかったようで、この週末にその結果をメールでもらうか、来週月曜日に知らされることになった。
「証明書にもすべて支払い済みとあるし、大丈夫だと思うわ。良い週末を!」と言われたけれど、ひきつった笑顔しか返せなかった。さっき歌ったときは好調だった首や肩の筋肉が瞬時に緊張し、体の芯が硬直しているのを感じる。どっと疲れてしまった。勘弁してくれ。居住地の突然の喪失(の可能性が生じること)がこんなにもストレスがかかることなのだとはじめて気づいた。心なしか頭にも圧迫感がある。もういいや、今日はバスに乗って早く帰って休もう。
帰りのバスのなかでも、先ほどの事件が頭を離れない。何が起きたかを振り返っていると、あの一瞬の間に「追加料金が生じるならもう荷物をまとめて帰るほかない」とあっさり覚悟を決めていたことに気がとまった。
そりゃあ、無理なものは無理だから「帰るほかない」のだけれど、それにしても未練がないというか、諦めが早すぎないか。まぁ、後悔が頭をよぎらなかったのは良いことだけれど。
家に帰り、昨日つくった回鍋肉とご飯をもぐもぐと食べる。おいしい。
しばらく塩や砂糖だけという単純で比較的薄めの味付けのものを食べていたからか、回鍋肉は甜麺醤や豆板醤をケチってオイスターソースと醤油と砂糖だけしか使わなかったけれど味がしっかり濃く感じられる。
ご飯の甘み、もちもち感も優しく、お腹の中に餌を待つ小鳥がいるかのように、パクパクと食べる箸が止まらない。
おいしい食事と浴槽に浸かれるなら今月いっぱいで帰るのも悪くないな、なんて冗談半分に思う。我ながら呑気なものだ。
食後は、今日が月末なので1ヶ月間の出費を確認する。
10月28日の「autre:その他」の出費は本だ。Barbaraの伝記。日本の百円ショップのように、フランスには2€(≒360円)ショップがあって、そこで見つけた。
背表紙には18€(≒2880円)とあったので、さすがにこれは例外かなと思って店員の方に一応尋ねたところ、その店員さんはニヤリと笑って「これも2€ですよ」と答えた。つまりは定価の9分の1。なんて運がいい!
古本屋で、カバーは異なるが内容はこれと同じ本を見つけていたが、それもたしか5€はしていた。3€だって日本円にしたら480円もの差異だ。こういう計算をして、迷わずレジに持っていく。何を目的にショップに立ち寄ったのかも忘れていた。(A4のノートを探していたのだったが、結局それは不要になったので、忘れていて、買わなくてよかった。)
今月はあまり出かけなかったにせよ、レッスン代を除いたら94.63€=約15,140円、かなり節約できていると思う。
交際費とその他は合わせても2,000円かかっていないが、散歩したり、公園でピクニックをしたり、カヌレをつくったり、ジャックやサンドラさんのコンサートに行ったり、部屋で歌を歌ったり採譜したり本を読んだり、勉強したりと充実して過ごせた一カ月だった。
食費だけなら62.03€=約9,924円だ。
食事に関しては、ここに来る前、円安のニュースを聞くたびに一日に一食で我慢しなきゃいけないかもしれない、ひもじい思いをするかもしれないと憂いていたけれど、今はなんとかやっている。割引になっている食材を見つけたり、安売りしている食材で工夫するのも楽しく、買い物をしているときや料理をしているときには太宰さんの『きりぎりす』の次の一節をよく思い出す。
大量に買ったジャガイモや消費期限の切れたお肉を、どのように腐らないうちに食べるかということを考え、他の食材と置き換えたり、ある調味料を使わずに仕上げるにはどうしようかと工夫することは案外楽しいし、失敗しても、「あ~あ、やっちまったなぁ」とそれはそれで受け入れられもする。
また、思いがけないところで目当ての本に運よく出会うのはもちろん嬉しいが、「ほしいけど、どうしようかな~」とすぐに買えずに悩んでいるのも悪くないと思える。
総じて、今は生活するのは楽しいことだと思えている。
が、もし食費がもっとかかっていたら、こう呑気ではいられまいとも思う。
電話で母と話していたら、日本ではお米が大幅に値上がりして5kgで3,000円以上するようになってしまったと聞き、総選挙のニュースよりもショックを受けた。主食にそんなに費用がかかってしまっては生きていくのがつらいだろう。それに、米価格高騰によってお米離れが進み、ますます作らなくなったら…と想像し、みぞおちのあたりがキュッとなった。
昨晩と今日のお昼でお米を食べて思ったが、やはり私はお米が大好きだ。
味噌や納豆も恋しいが、なにより日本米が恋しい。「保守派」の人たちは日本の伝統がどうのこうのと言うのだったら、お米の産業をこそ守ってほしい。現実には米農家の所得は、時給に換算すると10円というとんでもない状況になっている。
幸いこちらはジャガイモが5kgで640円、パスタも500gで100円程度、野菜もカブ1㎏で272円、ニンジンは1.5kgで238円、豚肉も3割引きで700gで648円と安い。食べ物が安いとこんなに嬉しく、生きやすいのかと思う。
帰り道に歩いていると食べ物の香りにつられて、レストランやお店に近づいて値段を見てみることも頻繁にあるけれど、パン一個で480円、お惣菜は一人分で1000円以上したり、ランチの価格が日本円で2,000円以上はするのを確認すると、くるっと向きを変えて遠ざかるのが常だ。
おかげで、いまだに自分一人では外食をしていない。最後に外食したのだって、スザンナとの別れの日だったからもう一か月前だ。
わたしが一人で外食する日はいつになるだろうか。今は料理するのが楽しいし、必要も無いので自炊を続けるつもりだ。気が向いたらそのうちに行こうとは思うが、今月いっぱいで帰らなきゃいけないかもしれないと頭をよぎったときも、外食すればよかったとは思わなかったのでしばらくは行かないだろう。