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フランス視察記⑥多くのミッションに立ち向かうミリタンたちの面会交流支援

CITHÉAでは11/29に終日研修を受けさせてもらったのですが、午前に家族仲裁、午後に面会交流支援という順番だったので、前回記事の家族仲裁の学びについて昼食中にメンバー間で意見交換し、『ウィーズの面会交流支援ってもはや家族仲裁の機能もやってるかも?私たちはなかなか大変なことをやっているのかも??』と今更ながらに思いました(笑)

これまで一生懸命やってきたことが、どんどんクリアに言語化されていくフランス・パリの旅です。

今日もCITHÉAでのおはなしです!

そうして始まった午後の面会交流支援の研修パート。突然はじまった讃美歌のようなキレイで落ち着いた超高音の女性の歌声が流れます。特に説明がなかったこともあり、通訳の安發さんと『眠くなっちゃうね?』なんて話していたら「静かに聞きましょう」と講師のOliviaさんに𠮟られる始末…(笑)

曲が終わると、Oliviaさんは『この曲は200年前は男性が歌う曲でした。しかし今、この曲を歌える男性はいません。時が過ぎ、時代が変わり「あたりまえ」ということはありません。変わらないものもありません。私たちは向こう岸への橋をかけて、乗り越えていくことが大事なのです。』とお話されました。

続いて、ひとりずつ「なぜここにいるのか?」について自己紹介をして、講義の内容に入ります。最初に言っておきますが、この記事はとても長くなります(笑)

フランスではエスパス・ト・フォンコントという面会交流のための場所を、民間機関が運営しています。CITHÉAもその一つです。
ほかにもビジット・ミディアティゼ(付き添い支援)、パッサージュ・トゥボア(受け渡し支援)もおこなっていますが、受け渡しは地方の支援に使われることが多いそうです。パリ市などではエスパス・ト・フォンコントが多くあるので、受け渡しをしなくても十分その場で対応できるのですよね。

フランスでは1970年に、父権ではなく親権の概念ができ、母もそれを担うようになった結果、女性の子育てへの自由と社会的自立が進みました。母たちが子育てに柔軟に取り組む一方で、男性はうまく子どもと交流することが叶わなくなることがありました。

そんな父たちのために、男性のソーシャルワーカーが1986年につくったのがエスパス・ト・フォンコントです。そして、すでに起きている上記のような現実に遅れて、1987年に共同親権の法律が整備されました。

1991年にはエスパス・ト・フォンコントに取り組む団体が集まり、ネットワークをつくることになりました。後に1994年に創設されたFFERの前身です。※Federation Francaise des Espaces de Rencontreの頭文字をとっている

2002年には、離別後も「一緒に親をする」ことがより明文化され、これまで父母が一緒に取り組む内容としては養育費の支払い・受け取りや住居地の検討に限られていたところに『家庭裁判所が、どうやって面会交流をするか・それをどこが支えるかを決める』ということまで法律に盛り込まれました。

その法律を受け、面会交流支援を担うところの一つとして、CITHÉAも面会交流支援に取り組まれるようになったそうです。どこにいる子も支援を受けられること、子どもが親2人と関係性を持てることが子どもの権利を守ることに繋がるという考え方から、支援が提供されています。

「子どもが親2人と関係性を持てることが子どもの権利を守ること」という表現は日本だと反論が出そうな気もしますが、基本的に除外されるのは『子どもにとっての関心に外れるとき』のみなので、子どものウェルビーイングを守れないと判断されたときだけです。この判断は子ども専門裁判官が行います。

ですので、親から子どもへの性加害があったとか、親が子どもを殺しかけたことがあるというようなケースでも、子どもが親に会えるようにする方法は残しておきます。
また、エスパス・ト・フォンコントは「子どもに会う権利」が守られている人が、子どもに会う場所でもあります。親だけでなく、祖父母が対象になることもあるのです。

関係性を維持する方法や、親権を父母が一緒に「親をする」ということを叶える方法を一緒に見つけるのが、配置された専門職の役割です。

裁判所がエスパス・ト・フォンコントの利用を命令するケースは、「命令がない限り面会交流が実施されなさそうなケース」や「親に会うときに子どもに緊張があるケース」です。


命令が届き、情報や状況を確認したら、CITHÉAではまず、どのスペースで交流を実現するのが良いかを考えます。

例えば、精神疾患のある子ども向けの安全性に配慮されたお部屋はパリ11区のスペースに多くあり、小さい子ども向けのお部屋は15区に多くあるなど、パリの区の地域性に合わせて、CITHÉAの支部が展開されています。
他にも関係性が難しい時に卓球などのアクティビティを通じて交流できる施設や、4家族が同時に交流できる施設、ティーンエイジャー向きの施設もあります。暴力があったケースに配慮した出口が4つある施設もあるそう。

ちなみに、暴力があったケースで面会交流の可否を判断する際、裁判所の家族保護班はもともと親子が住んでいたところの周囲にヒアリングなどをして調査し、最終的に決定をします(実施の際は電子ブレスレットを付けるなどし、距離を保てるようにするそうです)。

スペースが決まったら、その子を支援するチームを結成します。様々なキャラクターの人をチームに入れることで、子どものいかなる表現もキャッチしやすい体制をつくります。

そして、最初に子どもに来訪してもらうときには『チームのみんなと知り合いになれるように』『ここに来ることに慣れられるように』ということを意識します。別居親に会う緊張が大きい子どもの場合には、これを何度か繰り返します。

また、なぜここを使うのか・家族のライフストーリーについてもスタッフが子どもと対話します(状況によって5歳以上。7歳以上は必ず)。

このときの対話は、子どもがどう感じているか、何を見ているか、どのくらい知っているか、それについてどう思っているかを知ることが目的です。

夫婦の葛藤に立ち入ることはしないので、「父だけと話した記録」「母だけと話した記録」「裁判所の記録」の3つの記録だけをもとに子どもと話します。

基本的に司法で決められたことを変える権限はないので、子どもが心も身体も安定した精神的完全性が保たれる状態で面会交流をスタートできるようにします。それでも難しいと判断されるケースは、面会交流支援機関が裁判所にその旨を伝え、判断を仰ぎます。

そうしてスタートされる面会交流は、初回は1時間ですが、状況に合わせて変化していきます。これまでは面会交流支援機関にある程度任されていたようですが、2017年の法改正により細かく取り決め事項が決められるようになりました。当然合意の下で取り決め事項を変更できるとはいえ、『何か月経ったら〇時間にする』というようなことまで記載されるため、「子どもがそれを良しと思っていないのに、そうしなければならない」ということがあり、支援機関としてはこの法改正は問題だったと感じているとのこと。

今、裁判所を一つ一つまわって、現場の子どもの声を伝える活動もしているそうです。

支援を受ける期間はあらかじめ定められており、その期間は子どもが親と2人だけでトイレに行くことも禁じられているほか、同居親の遅刻やキャンセルが続いたり、心配な様子が見てとれたりしたときには裁判所や、情報統括部署(各県にあり、子どもに関する心配な情報が集約されています)に報告されます。

定められた期間が終われば、裁判所と両親に報告が送られ、支援終了となります。両親の合意のもとに、支援が継続されることもあるそうです。

支援の開始から終了に至るまで、面会交流が行われる前には必ず父・母・子と毎回面談が実施されます。そして、父・母・子の誰かの調子が万全でない時には、交流は中止されます。

あるケースの支援記録(CITHÉA提供)。右の欄が中止の理由。
交通手段や気象の問題もあるが、助産師のアドバイスでの中止などもある。

その判断は対話と、家族の歴史、ジェノグラム、それぞれの生い立ち、暴力定規に照らし合わせた暴力の経験履歴、チームでのフォーマル・インフォーマルなケース会議の履歴など、さまざまなものから総合的に判断します。

そのため、スタッフは傾聴ばかりでなく、アクティブに働きかけをおこなわなければなりません。子どもの年齢や状況、関係調整に有効なようにアクティビティを提案したり、『お父さんに会うのはかわいそう』などと言ってしまうお母さんに対し、心配な気持ちを整理して役割を定めなおすこともあります。

役割として適切でないものを放置しない、という意思は強く、一度も子どもに会ったことのないお父さんや、子どもにうまく接することのできないお母さんにも積極的に介入し、ここからまた親になっていく、ということを支えます。

面会交流をする中で今まででてこなかったことがでてくることもあります。子どもが表現できる環境が整うことも多く、そこで、同居親からの暴力があることを子どもが言うこともあります。

そういったときに支援機関の人たちは、時差なく裁判所へ報告します。『子どもがやっとの思いで表現できたこと。児童相談所へ行かなければいかなくなることは、私たちと会えなくなることも意味します。それでも次に行った先の専門職から、その子が受けられるものが良いことであることも信じているから躊躇はないです。「数年後に来た時には、またあなたを受け入れられるように準備しておくね」とは伝えます。』と仰っていました。

裁判所への報告の仕組みがしっかりあることと、専門職への信頼が高いことが本当にすごいと思いました。

エスパス・ト・フォンコントの国の基準書(全37ページ)

CITHÉAでは、面会交流支援には多くの能力が必要で、ミッションもたくさんあるため、「なぜここにいるのか」をクリアに話せる人が最低限の採用基準だそうです。それは、自分の荷物を手放すためでもなく、週末だけ働きたいという希望を満たすためでもなく、『子どもの関心を満たす』という目的であるかどうかを確認するためです。このパートの最初で私たちが自己紹介をしたときの質問事項も、そういった意味が含まれていたのでしょう。

仕事を超えた価値観で、社会へのビジョンを共に持てるミリタンの集合体でなければ、この難しい支援を完遂することはできないからです。

フランスでは2017年に面会交流支援を担うのは、有資格者でなければならなくなりました。それは、社会の義務としてお金を国が出すという点でも重要なことでした。
現在は70%が国の補助金、30%が自団体のマネタイズにより運営されていて、支援する人たちのケアの必要性も認められています。

面会交流支援は子どもたちが真実について言語化され、それを意識した上で自分の力で自分の人生を進めていけるようにするためのもの。

私たちも常々言ってきたことですが、このことをフランスの方たちからも聞けたのは本当に勇気づけられました。

子どもたちが「こんなことを言ったら大人に怒られるのでは?」と思ったり、親や大人の方が「そんなことを言われてもケアする仕組みがないのだから言わないで」という空気をつくることがあります。

そうすると子どもたちは防御反応ゆえに問題を先送りし、またどこかでトラウマをもう一度辛いまま思い出させるという可能性を残してしまいます。

CITHÉAで扱ったある5歳の男の子のケース。
お父さんからお母さんへの暴力があって両親は離婚し、お父さんにはこの子は会ったことがありませんでした。お母さんはこれまで「お父さんは海外で暮らしているのよ。」と子どもに話していたそうです。

そして面会交流支援にて初めて、お父さんが本当は刑務所にいたことを知りました。このとき、この子は『知りたくなかったけど、知ってたよ。』と言ったそうです。やっと、誰かとこのことについて、話せる場ができたのです。

子どもが「なんでお父さんとお母さんは離婚したの?」とか「お父さんとは会えないの?」などと質問をしてくるとき、子どもの年齢によっては「まだわからないから」「子どもを傷つけるから」と大人が判断し、本当の回答を先送りにしがちです。

ですが、子どもたちは『答えを聴く準備ができているから質問しているのだ』とフランスの方たちは話します。

現実を知って、その上に生きることを支える支援です。たとえ先送りしても、自分の父(精子)と母(卵子)は変えられないのですから。

最後に
『日本の現状で、さまざまなことをやっていくのは僕たちが思う以上に難しいことだと思う。でも、ウィーズが日本で革命を起こしてほしい!』Marouaneさん)
『いずれにしても世の中の進化は必ず正しい方向へ向かっている。父母が争っていたとしても、サポートすればよい関係を創ることは可能。お互い頑張りましょう!』(Oliviaさん)
とエールをいただきました。

そうそう、このパート、いつもにまして情報量が多く、全然写真を撮っていないという……(笑)最後に集合写真はちゃんと撮りましたよ!

CITHÉAのみなさんとCITHÉAのCでウィーズのWポーズ。
なんかちがうひとちょいちょいいる!笑
今度はウィーズのWでCITHÉAのCポーズ。
…という話だったのに、結構もう放棄してるやん!笑

CITHÉAのみなさん、2日間にわたりありがとうございました!

フランス視察記はまだまだ続きます。私たちが1年にわたりずっとお話を聞かせていただいていたアンソレンさん、ターラの夢見た家族生活の著者のPavoさん、もうひとつ視察させてもらった面会交流支援機関のジャン・コクセットさんと続きます!引き続き、お読みいただけましたら<m(__)m>


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Ayumi Mitsumoto🍃NPO法人ウィーズ理事長
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