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わたしのふたつのルーツ blue編
偶然のタイミングが重なり、両親の故郷を連続で訪れた。鹿児島の海辺と、静岡の山奥だ。
鹿児島。車から出ると、懐かしい潮の香りが漂う。東京ではみたことがない、大きなヤシの木の葉っぱがゆさゆさ揺れる。ゴツゴツした岩肌、テトラポット。ただひたすらに続く青い水平線。
長く入院しているばあちゃんに会いに行った。まだコロナ禍の厳しい規制が継続していて、会えたのはたった1日、たった10分間。
思っていたよりもずっと元気そうで、なんだかホッとした。叔母から、ばあちゃんは嵐が大好きなんだよと初めて聞かされた。嵐が帰ってくるんだよ!とニッコニコのばあちゃん。嵐の力を、今までの人生で一番感じる。嵐ありがとう、一刻も早く復活して!と、私も思わず心で願う。
病室は寂しいかなと、以前描いた花の絵を持っていった。宝物だぁと喜んでくれて、嬉しかった。こうゆう瞬間、あー生きてて良かったって思う。なにか、つくったもので誰かが喜んでくれる時、本当に嬉しい。
生まれ育った場所では海が身近でなかったので、私にとっての海は鹿児島の海だ。穏やかに続くまっすぐな水平線が美しくて、でも岩肌がちょっとワイルドな海。数年前に久々に帰郷したとき、その美しさに改めて感動した。大きな海を見つめていると、自分がいかにちっぽけなのかと思う。そうすると、そのちっぽけな自分の中の悩みなんて、気にするまでもない、ものすごく小さなものだ。なんて思える。
肌が強くないので、いつも肌はあまり露出しないのに、この地では風を感じたくなる。空気をたっぷりまとえるスカートで、裸足で砂浜を歩きたくなる。なんで、じいちゃんが亡くなってから7年間も来ていなかったのだろうと、胸がクッと締め付けられた。だから2年後の今年、また訪れたのだ。
集まっていた親戚みんなで、子供のころ以来で潮干狩りをした。
母が、ひいばあちゃんと行ったという海岸へ向かう。ススキが揺れる小さな丘を登ると、美しい白い砂浜と青い海……と、ものすごくたくさんの潮干狩りする人、人、人。みんな、今がベストタイミングと知っているのだ。私たちも各自小さなボウルを抱え、それを集結するための大きなバケツも用意し、このバケツを万杯にするんだと意気込んだ。
始めてすぐ、父が蛤かと思うほど大きなあさりを掘り上げる。みんなで歓声を上げて、我も我とと意気揚々と掘り進める。手当たり次第掘って、貝がいないかと探る。いくつもいくつも、小さな穴が生まれる。
でも、貝は全然出てこない。取れても赤ちゃんの小指の爪くらい小さな貝で、あとはほぼ貝殻。みんなだんだん諦めてくる。私も従姉妹と水遊びを始める。全部、朝イチで取られちゃったのかな〜なんて言いながら、揚げたてのおいしすぎるさつま揚げを砂浜に座って食べて、帰路につく。
しかし、なんとなく諦めきれない私たち。子どもの頃は、バケツいっぱい取れた気がする。「こんなにいなかったかなぁ」と言い合いながら、不完全燃焼感が否めない。
帰りがけに通る、近所の海岸にも寄ってみることにする。ここはあまり取れないんだよね、と母と叔母が話す。でもこの収穫量では、スッキリと東京に帰れない……という心持ちの私たち。時間はすでに夕刻で、満潮が近い。車を降りて海岸に走り、また手当たり次第掘ってみる。
そうしたら、いた。いた、というか、見渡す限りが貝だった。波がサーっと引いた時、砂が持って行かれることで、隠れていた貝があちこち顔を出している。それらを掬い上げても良いし、やみくもに砂に手をつっこんでも、指の間に2〜3個当たる。
はじめは、「いっぱいいる!!」とみんなで大はしゃぎだった。気づけば無言で、ひたすら夢中になって貝を掘り続けた。縄文人になったような感覚。目の前に貝があるならば、見逃せない。日焼けも、中腰の体勢も、波で濡れる裾も気にせずに掘り続ける。
それぞれのボウルがいっぱいになると、その度にバケツにざぶんとまとめる。すっからかんだったバケツが、いつの間にかものすごい重みに。もう十分だし、疲れてきてるのに、なんだか辞められない、止まらない。夫が、「誰か止めてくれ〜」と叫ぶ。笑いながらも、手が止まらない私たち。
翌朝、母が潮抜きしたあさりでお味噌汁を作ってくれた。貧血がちの私がいつもお世話になっている、貝のお味噌汁。作るの、こんなに大変だったんだなぁとしみじみとする。
あんなに気にしてた日焼けもしっかりしてしまったのに、なぜか1ミリも後悔がない。むしろ、また掘りたいなぁという気持ちになる。あの指に触れる貝の感覚が忘れられない。食卓を囲むみんな、なぜか不思議な充足感がある。
「諦めないって大事なんだねぇ」「遠くに行かなくても、意外とすぐ側にあるもんなんだねぇ」「本当に夢中になると、やめられないねぇ」
なんて、人生の教訓みたいな言葉をそれぞれ口にする。そしてしっかりと実感する。
潮干狩りで人生を考えさせられるなんて。忘れないように、ここに記す。また家族で鹿児島を訪れる日を楽しみに、今日も明日も健康で過ごす。