悩みがなさそう
私がここ数年、
たまに言われるようになった言葉
「悩みとかなさそうでいいな」
これを褒めてるつもりで口にしてる人は
なかなか無神経と思う。
正直、こんな失礼なセリフは
頭に浮かんでもなかなか伝えることはない。
受け取る側としては(個人的には)
それだけ楽しそうに見えてるんかなって
嬉しく思うところもあるけど、
同時に
この人とは仲良くなれなさそう
とも思う気がする。
今までこれを私に言ってきた人が
どういうつもりで言葉を放ったか知らんが
まぁ確かに悩みはないかも知れない。
悩みがないというか、
問題が起きても解決に向かおうと動ければ
私にとってそれはもう悩みではないので、
私が「悩む」ことがあるとすれば、
考え始めていない
あるいは、何らかの理由で
解決策を考えることができない
(解決できないのに考えないわけにいかない)
そういう感じのことかなと思う。
幸いそういうことは今の自分にない。
と言うか、元々あったけど捨てた(逃げた)。
15年以上も大切に抱え続けたそれを捨てて
いろんな縁を手放してしまったけど、
人生は随分とラクになったし
それに比べたら他のことは特に苦労がなくて
日常にツラいと感じることが激減した。
感覚の麻痺かな。
解決を進行中のことはある。
その結果に一喜一憂することもある。
まぁ一喜は ほとんどないけど
私はヘコんでも起き上がるのが得意で、
一憂の要素を裏返して
一喜として捉えることができたりする。
それが悩みのない様子に見えるかも知れんし
そう見てくる人に悩みを話すこともない。
そんな浅い人に話しても
余計傷が深くなることしかないのも知った。
話を聞いて心を軽くしてくれる友だちは
たとえ私が楽しい話しかしてなくても
「悩みがなさそう」なんて言ってこない。
私が今 お金も時間もある程度は自由で
旦那のおかげで苦労なく暮らしているのは事実。
十分に幸せをもらってると思うし、
一般的に幸せと思われてそうな生活、
幸せな人生に見える毎日を過ごしてる。
旦那や友だちとの幸せは
お互い積み上げてきた工夫とか努力とかで
不満があっても伝え合える関係性とか
助け合える、笑える空気を作ってきたからで
ただのラッキーではないと思う。
悩みになりそうなことを解決してきた結果。
考えて考えて、行動してきた結果。
私が幸せなところしか見せない、
楽しいことしか話さない、
愚痴も解決したあとにしか話さなくて
全部笑い飛ばして強く見えるのは、
信頼してないから話さないし見せないだけ。
悩みがなさそうなんて言われて
そんな表面しか見てない人に
悩みを話すわけがないやろ
そして今 私には
私の意思だけではすぐに解決できない問題
がある。
何回も解決したくてチャレンジして、
手段はあるが半分は奇跡待ちしてるような、
思いが強くても関係ない
進捗もスケジュールも読めない。
失敗した時の絶望が永遠に思える。
なんかよく知らん人にアドバイスされて、
おまえに何が分かんねんと思いながら
そうねって笑って
私のほしいものを手に入れた人たちを
羨ましく思ってみたり、
今 私が持ってる幸せを
必要以上に自慢してみたりする。
何もしないより前進はするけど
大きくは私の心持ちが変わるくらいで
現状が変わるわけではない。
限界もある。
今のままでも不幸ではない。
向き合うのも諦めるのも私の努力。
1つの希望が壊れて、
悲しんでも絶望しても
悔しさで吐きそうになりながらまた進んで
気を遣わせないために明るくした様子を
悩みがなさそう
って表現された時、
自分がそう見えるように頑張ったのに
あぁよかった 成功してる
とは素直に思えない矛盾に気付いて、
隠したはずの努力や悲しみに気付かれると
なんとなくホッとする自分がいる。
何かをキッカケに悩みがなさそうって感じても
「悩みがなさそう」より適切に
その人を表現できる日本語がたぶんあるから、
誰かに言いたくなった時は
よく考えてほしいかも。