継続が力ならば。
昔、日記サイトをやってたんですが、毎日よくもまあ、くだらないことを飽きもせず書いていたなあと、思うわけで。
若かったっつーのもあるんでしょうが、勢いで続けていたのかもしれません。
それがある時ふと、書けなくなったんですよね。
これは公の場で言ってはいけないことではないかなーとか、いわゆる難しい言葉で言うところの「守秘義務」って言うのを考え始めたら、飲み込むことが多くなって、段々と書くことがなくなってしまったんですよね。
それが、ふとしたきっかけで、Facebookの文学グループ、なんてものに入ってしまって、書くことに全てを賭けてるような人達に出逢ってしまい。
何も考えずに文章を書いてきた私には、晴天の霹靂、目からウロコな世界でした。
まず、文章の構成なんてもの、改めて考えて書いたことなかったので、プロットがどうとか、起承転結がどうとか言われて、動揺しました。
野生の勘でやってきたので、それを学問として改めて学ぶことは、新鮮な驚きとともに、自分はよくもまあ、ヘッタクソな文章を書いてきたもんだ、と反省もしました。
しかしですよ、およそ10年間にわたり、あれこれくだらない四方山話を書き続けてきた経験も、無駄ではなかったと思うのです。なんなら、10年前の文章を読んだ時、今の自分にとっては、後光が差すくらいの驚きがあったりするのです。
技法やら文法やら、拘りすぎることで、見失う何かもあるのかなあと思います。
ということで(どういうこと?)、日記を書くことにしようかな、と、思います。
続けることに意義があるので、できるだけ更新していきたいと思っています。
読む人が、嫌な気持ちにならない、書く人(つまり私)が、嘘をつかず、できるだけ素直な気持ちでいられるような、そんな文章を綴っていきたいと思います。
さて、どこまで公開にするべきか。