愛に気付いて〜動物との愛〜

“あぁ、互いに愛し合っているんだ”

ーそれに気付いた瞬間、‘独り善がり’だお思っていた呪縛から逃れられた気がした。 と、同時に、相手にも“やっと気付いたか”と思われた気がした。

 その“相手”とは、猫である。私が、高校生の頃、隣のクラスの人が拾ってきた猫を、引き取った頃から飼い始めている。その、愛猫との付き合いも、早8年位になる。

 私は、元々、小さい頃から、猫が好きだった。きっかけとさ、好きになった理由は特に無い。ただ、可愛くて好きだったのである。気紛れで、自由に触らせてはくれないが、時々甘えにくる様子は、何を考えてるかは分からないが、興味をそそられる。真っ直ぐに、何かを見ているかの様な瞳は、クリクリしていて、一日中に七回も瞳の色が変わると言う。しなやかな身体で、シッポを振る様子は、素敵としか言いようが無い。歩く姿は、トップモデルが歩く様である。…まぁ、だから、キャットウォークと言うのだろうが、人間は猫には決して及ばない。 子供の頃、よく猫を追いかけ、迷子になった。そこまで、猫に夢中になる気持ちと言うか、衝動は、今でも変わらない。恥ずかしながら、大人になっても追いかけてしまう。

 そんな、猫好きの私だが、今飼ってる猫が初めての猫では無い。初めての飼い猫は、小学生の頃、裏の畑で拾った猫である。初めて、猫を拾った時と言うのは、宝物を拾った気持ちである。ずっとずっと幼い頃から、猫を飼う事を、夢見ていた私は、その‘宝物’を大切に抱え、家へコッソリとあげあ。家では動物を飼えない状況であったから、怒られる事は必死だった。だが、その宝物となら何でも乗り越えられるーそんな気持ちがした。例えば、“捨て猫を一匹、自分は救うんだ”そんな正義感の元に、理解を得ようと言う気持ちだった。

 その猫は、私の必死の頼み込みの末、ようやく飼えた。きっと、幼い頃から猫好きな私の気持ちが、猫には猫に通じなのであろう。 ー念願の猫を飼えた当時の私と言えば、子供だった事もあって、“好き”。言葉や行動だけでしていた気がする。それは、どう言う事かと言うと、『自分が好きだと思ってる相手には気持ちが通じて相手も自分がスキ!』と言う、単純な考えかたであった。流石、小学生。恋愛なら、完全な片思いで厨二病の思い込みだ。猫の世話をするのも、もちろん、私であったと思っていただけ抱きしめるばかりで、実際は母に任せきりにしていた気がする。これでは、‘スキ’もちろん“愛”が何かは猫との間に通じてなかったと思う。むしろ、母と猫との間に‘愛’がある気がする。 猫との愛、それは当然、小学生のわたしには、考えていただけで、感じる事は出来なかった。そう勘違いしていた時はあるが、“愛”ではなかったのでは無いだろうか。一方的な‘恋’片思い。

ー何故、その様な‘猫との愛’について“考える”のか?それは、私はある日、気付いてしまったのです。

“猫も私を愛している”と。

その時の‘感動’と‘感謝’は言葉にする事は、難しい。

 小学生の頃のわたしと猫との間には“愛”が存在しなかったワケではない。ーでは、何故、“猫との愛”に気付かなかったのか? それは〜…‘小学生だったから’と言う理由もある。それに、“一方的な愛”でもあったから、自分で満足していて、猫から発する愛に気付かなかったのかのもある。

“猫”からも、‘愛’を発する時は、ある。

ふとした、“愛”もある。それに気付いた時、‘互いに深く結びついてる’と感じる。そして、“愛が深まる”のである。

ーただ、“好きで飼っている”ー

それは、誰でも出来る。ペットと主人の間に、見えない“愛”は、いくらでと、いくつでよ、あるだろう。しかし、長年をかけて、“気付いた愛”“築いた愛”は、深く、更に互いを結びつける。

 小学生の時の、その、1代目の猫を飼って、引っ越しで他の人に譲渡した時は、気付かなかった。“愛”。

そして、この文章を書いた大人になってる時は、高校生の同級生が拾ってきた捨て猫を、飼ってる時だった。冒頭の、8年位経った時に、‘此方が押し付けてるであろう愛’が、猫からの“無償の愛”に気付いたキッカケは、暗い話である。 

 高校を卒業し、専門学校に入る私は、同時に、祖母とも、暮らし始めた。母かたの祖母しか、生きてなく、その祖母とは昔から田舎に行っていたので、仲は悪くなかった。 祖母が弱り、公団?市営住宅で高齢で暮らせなくなったと聞いた。田舎から出てきて、ほぼ寝たきりの生活。私は、学生で課題を毎日の様に出す身だが、勉強机は祖母の部屋にあった。そして、祖母のボケも進んだ時、若干ハタチにして、悩んだ。ボケるかも分からないが、祖母から田舎を取る様で怖くて、私も都内生まれで、帰る田舎を無くしたくないので、祖母と田舎で暮らしたいと程愛。母はものすごく反対した。そして、色々…色々あった。 最終的に、いつ何時だったかは覚えてない。恋愛に依存したり、ふられたら其処での自暴自棄と言うより、介護よりは、妹の大怪我がキッカケだったと思う。4つ下の妹が、試験勉強中に、暖房を…電気ストーブを点けていた。その電気ストーブが近い事を、何度も私も母も指摘したが、言う事を聞かなかった。 そんなある日、膝にかけたブランケットに火がつき、妹の下半身は燃えた。

その後、母は糖尿が悪化。インシュリン注射になった。そんな時に、引っ越しが決まっていたのだが、先が見えなくて自分が本当に情けなくて…自殺しようと思った。

その住んでた物件は、窓を開ければ柵はなかった。直ぐにでも飛び込めそうな窓を開けて、猫を抱えた。猫は、道連れにしたら、可哀想だと百も承知だった。だが、飼い猫は、きっと、私が死んだら、誰も面倒をみないのではないか?と思った。私が、私だけが、猫を好きで、家族は猫が好きではなかったと思うから。

夜、猫のみゆちゃんを抱きしめ、窓を見つめた。少し、窓を開けた。その時………みゆは“一緒に死んでも良いよ”と言った気がした。

………………号泣した。あり得ない程、泣いた。私は‘猫に愛されていた’。一方的な愛じゃなかった!相手も愛していたし、私の気持ちに応えてくれたんだ! そう、気付いた26才の時、死ぬのをやめた。 恋愛では、愛なんて知らなかったと思う。愛だの恋だな言ってるだけだった。それだけで、満足だったのであろう。言ってるだけ。 恋愛とは、違う。いや、恋愛?かもしれないけど。 “愛”とは、与えられ与えるもの。 そんな、基本的な事を、みゆは教えてくれた。

泣いた。泣いた。泣いた。猫は、愛したら、愛を返してくれてた。それも、無償の愛。言葉にニャーとしたり、甘えたりもするけど、それ以上に、すごくすごく愛してくれた。何も言わなくても、四六時中、愛を注いでくれてた。飼い主の一方的な愛だけではなかった。

 それに気付けた20代。薄っぺらい見えない‘愛’の言葉より、見えない“無償の愛”の凄さを知った。

 それが、私が学んだ愛。

なかなか、気付いてる様で、勘違いかもしれない、だが、此方が一方的にでも好きで、愛してるから良いのではないか〜は、違う。 互いに愛し合う事。“愛とは、深い”。

 愛に気付くのに、1代目の猫から、10数年かかってる。でも、気付けて、良かった。

 どうか、小さな愛に、気付いて欲しい。一方的かどうか、自分で冷静に自己を見つめて欲しい。そして、自分の子を抱いた時に、種族を超えて、愛があるのか、抱きしめて問いかけたら、自ずと答えは出てきます。

 この、途中までの文を書いたのは、その愛に気付いたから何年後かと思います。そして、描きかけて、今、ネットにあげるのに完成させるまで、20年くらいかかってます。それは、本当に、愛とは深く、一概に書けなかったと思ったからだと思います。 

今は、2代目のそのみゆは、亡くなり、3代目も、病気で亡くし、今は4代目も飼ってます。いづれも、愛を感じ、愛をして、亡くなるまで愛したら猫たちです。そして、これからも。今の猫を心の底から、愛していきます。

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