生まれた時から愛着障害の始まり 1

 私が生まれた時、母はさぞがっかりしたでしょう。
出てきたのが女の子だったから。
当時は今のように生まれる前から性別を知ることは出来なかったでしょうから。
母は自分の老後をみてくれる跡継ぎの男の子が欲しかったのです。
お嫁さんが来て、孫に囲まれて寂しくない、何かの時は助けてくれる家族に囲まれて、安心して歳を取っていける生活がしたかったのです。
なのに女の私が生まれてしまった。
その時から私の受難が始まったのです。
女の子は嫁に行って他家の人間になってしまう、自分(母)の助けにはならない、だから手間をかけたくない、お金をかけたくない、そういう考えで私には関わってもらえませんでした。
育休の間もろくに私のことはみてくれず、放っておかれたのでしょう。
私が1歳になって育休が終わったら、母は仕事に復帰しました。
その時からさらに私の辛い毎日が始まりました。
おばあちゃんの存在です。母から見れば姑です。
おばあちゃんはとても勝気な人で、幼い私に対しても気に入らないことがあれば容赦なく声を荒げ、げんこつを振り上げ、叩くことはなかったけれど、そうやって私を威嚇する人でした。
一緒に遊んでくれるなんてとんでもない、私もそんな怖いおばあちゃんと一緒にいるのは嫌でしたから、離れの家でひとりで過ごしていました。
おばあちゃんと一緒に過ごすことが嫌で、母にいつも朝になると「仕事に行かないで」とすがりついていました。
母は「行かないよ」と噓をつき、だまくらかしていつの間にかいなくなっていました。
「してやったり」と舌を出して仕事に出かけてしまったのです。
幼い私に何でそんな母のことがわかるかって?
子ども心にも母の心情がわかったのです。
決して後ろ髪を引かれて出かけて行ったのではない。
私は母にだまされたことが悲しかった。悔しかった。
何でお母さん、私をだますの
幼い私にそんなことをした母のことを私は今も許せませんし、信頼することもできません。
あの時、幼かった頃の私。不憫だったな。今も涙が出ます。

              続きはまた次回 ぜひまたきてくださいね!


生まれた時から愛着障害の始まり 2

 次の受難は弟が生まれた時。
私が4歳の時弟が生まれました。
なぜその時の記憶が鮮明に残っているのかと言えば、あまりにも悲しい出来事だったから。
生まれたばかりの弟をあやしている母のうれしそうな顔、
私が何度母親の服を引っ張って、「ねえ、ママ、ママ」と私の方を向かせようとしても、頑として私の方を見てくれず、弟をあやしている母。

私は胸がキリキリする痛みを覚えながら、悔しい、悲しい気持ちでいっぱいでした。
私はこの子(弟)にはかなわないんだ、ママが可愛いのはこの子なんだって思い知ったのです。
これだけの思いを4歳の子にさせる母親って… って、今も思います。
私がこの時感じたとおり、今現在まで母は弟だけで、弟に頼っています。
 私が母と弟にどれだけ悔しい思いをさせられてきたことか、どれだけ理不尽なことをさせられてきたことか、弟とけんかした時、悪いのは弟の方でも、叱られるのはいつも私でした。
毎日のように悔しい思いをさせられ、私の毎日は辛かったです。
私は弟と口をきかなくなりました。
弟ばかりを可愛がる母親が嫌だったし(父親は母と同化しています)、母から可愛がられてる弟のことがおもおしろくなかったんです。
そして私たちきょうだいは、今でも目も合わせない、口もきかない、そんな仲です。
母は私からきょうだいも奪ったのです。

家では常に3(母、父、弟)対1(私)でした。
私は家庭でいじめに遭っていた。仲間外れにされていました。
常に不安を感じ、胸の痛みを感じ、そういう状態で生きてきました。
家に居ていつも疎外感がありました。
親に甘えるとか、気持ちを打ち明けるとか、そういうことができませんでした。
親密な感情を持てなかった。子どもにとって非常につらい、悲しいことです。

きょうだい差別は愛着障害になると専門書にも書かれています。

        続きは3に続きます。

生まれた時から愛着障害の始まり 3

 私は弟との間のことでは、母に何度も悔しい目に遭わされました。
弟が悪くても怒られるのはいつも私、母は決して弟のことを悪く言いませんでした。それは後々のことを考えて(自分の老後の面倒をみてもらう)の母の行動だと今ではバリバリにわかるのだけれど。
母の計算高いというか、私のことなどこれっぽっちも考えてくれず、自分の利益ばかり考えていた母のことを今でも嫌悪します。
おばあちゃんの存在もそう。
母は私をおばあちゃんに預けて仕事に出かけていました。私はおばあちゃんと一緒にいることが辛かったのに!
何度もそのことを母に訴えたのに!
「あの人は孫を可愛がらない人だからね」と私が大きくなった時言い放ちました。
それがわかってて、なんで私をおばあちゃんに預けたの!
ひどい母親です。
普通ならそんな娘を不憫に思って仕事を辞めるだろうに。
 私は弟の面倒まで見させられました。「お姉ちゃんなんだから面倒をみるのは当たり前だろ!」と母は言いました。
当時の私には何も言い返せませんでしたが、弟の面倒をみるのは私ではない、親が見るのです。
そのくせ、ありがとうとも言わず、私に良くしてくれようともせず、弟ばかりに甘い母親でした。
家事もそう。私にばかり、廊下はいてとか、お風呂の掃除してとか言いつけます。
お風呂の掃除に関してはものすごく悔しいです。母はお風呂の掃除が嫌いらしく、毎度私に言いつけます。
「○○は?」と弟のことを言いますが、黙ってしまいます。
私は悔しくて、ある時からお風呂の掃除をしなくなりました。
その代わり、寒い冬でもシャワーだけで済まさなければなりませんでした。
ある時、私が掃除をしないので、母が掃除をして、浴槽にお湯を張った時、私が一番に入ったら、ものすごく怒られました。
掃除をしないくせに入るんじゃない!って。
私は今でも実家に行ったときお風呂の掃除だけは絶対にやりません。
ほとんど実家になど行くこともありませんが。

        続きは4へ

生まれた時から愛着障害の始まり 4

 幼いころ私は本当に寂しかった。母が一緒に居てくれず、怖いおばあちゃんと一緒に居させられて、いつになったらお母さんに思う存分甘えられるんだろう、ずっと一緒に居られるようになるんだろう、って思っていた。でもとうとうその日は来ませんでした。
その日が来ないうちに私は中学生になり、母親がいなくても大丈夫になっていた。
中学生の私は本当に楽しかった。学校が楽しかった。
友達関係も、部活も、今考えても私の人生の中で寂しさも感じず、充実して一番いい時ではなかったかと思う程だ。あの頃の自分の気持ちは温かかった。朗らかな気持ちでいたあの時の自分が好きだ。
 でも高校生になった頃から母との関係の影響が出始めた。それは今現在まで続いている。
母が私にしてきたことの影響は計り知れない。それが今の私の境遇だ。
いい年した今になっても親のせいにしてるとは! と言われるだろうが、愛着障害というのはそういうものだ。大人になったら自分の人生は自分で作る、作れる、確かにそうなのだが、幼いころに私が受けたあの想い、あの感情はとことん私に染みついて、しっかり私の中に根を張っているのだ。
愛着障害は「死に至る病」とまで言われている。

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