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(閑話)狂犬病予防法をしっかり扱おうとおもった理由(自己紹介が半分くらい)
ほとんどキスもされない記事を書き続けています。自分のブログなど他でも似たようなことを書いていますが状況は同じです。ではなぜこんなことをやっているか?、今回は、そんなことを書いてゆきます。
1994年、我が家に犬がやってきた
今から約30年前 1994年、我が家に犬がやってきました。女房が子供の頃からの夢だと言っていたゴールデン・レトリバーを迎えることになりました。
譲ってくださったのはブリーダーさん。元々(ブリーダーとしてではなく)他の動物関係の知り合いでした。子犬を売ることで生計を立てているのではないことは知っていました。繁殖業者を区別する言葉があるようですが、それで表現するならシリアスホビーブリーダーとなるような人ですが、当時はその辺りの業界事情も知りませんでした。
先輩飼い主さんたち
犬を迎える前、迎えてすぐの頃の話。
女房は、何十年と夢見てきたことなので、犬に付いてそれなりの知識はありました。なのでブリーダーさんとも話が合い、更に色々な人を紹介していただきました。紹介と表現すると大袈裟ですが、一緒にBBQしたり夜お酒を飲みながら話をしたり(もちろん犬連れで)。
犬を迎える前、私は(女房とは別居して)動物関係で地方に二ヵ月ほど暮らしていた直後でもあり、動物に対する感覚は犬のプロの人たちに通じるものがありました。
後かわ分かったことですが、紹介していただいた「色々な人」の多くは有名な先生でした。しかし彼らも「先生」ではなく「先輩飼い主」として多くのことを教えてくださいました。何故なら、自分が関わった犬が幸せになってほしいから、そして犬との素敵な生活を体験してほしいと願っていたから。
私たち夫婦も素人である自覚があり、多くの先輩飼い主から得られるものはなんでも得たいという姿勢で教えていただきました。ブリーダーさん以外の人たちからも面白おかしく楽しく色々なことを教えてくれました。
当時の犬をとりまく世の中
1994年は色々な意味で今とは大違い。当時は、ハスキー~ラブラドール~ゴールデンと流行り、ゴールデンも終わりの頃。
その後、小型犬ブームとなり、さにその後「動物の保護及び管理に関する法律」が「動物の愛護及び管理に関する法律」に名前が変わる程の大改正があり、動物愛護活動が少しずつ世の中に知られていきます。
1994年頃は犬グッズも(今と比べれば)最低限のものもないような感じだったし、ドッグランは海外では知られていましたが、日本では「犬といえば番犬」的なイメージが一般的でしたから「日本でそんなことやったら大変なことになる」と考えた人が多いのか、ほとんど知られていない存在でした。
ドッグカフェという言葉もなく、欧米の人が経営している飲食店または欧米のことに詳しい経営者が「犬連れも断りませんよ」的な感覚で迎えて入れてくれたいたような時代です。
そんな時代ですから、必要なものは作ったり、あるものを工夫して使ったり。サービスを受けるにしても手探り感がありました。
ネット上での先輩飼い主
当時日本ではインターネットインフラも貧弱(アナログモデムが一般的)でネット上のコンテンツは(今と比べれば)皆無と言っていい状態でした。
当時は、インターネットではなく「パソコン通信」と呼ばれる文字ベースのコミュニケーションスペース(掲示板)が一般的であり、そこで情報交換をしていました。
そこで犬に関する情報を得ることも出来ました。時代はバブル崩壊後であり、その頃には海外との行き来をする人が増え、欧米(特に英語圏)の情報を教えてくださる人が、パソコン通信の世界には何人かいてとても刺激になりました。
調子にのりはじめる
ゴールデンレトリバーという犬種は訓練性能がよいと言われます。経験して分かったことですが、それは「失敗しても許してくれる」という意味でもありました。
素人が訓練(今の言葉で言えば「トレーニング」ですが日本語が好きなので訓練と書きます)して、良い部分は素直に吸収してくれるし、失敗しても致命的になることはほとんどありませんでした。
そして私は、先輩飼い主さんたちの勧めで犬との時間を最優先にしていたことから、余裕をもって訓練を楽しむことが出来ました。
今から振り返ると、訓練そのものよりも「何を目的に訓練するか」も考える時間をもてたことも良かった。競技会用の訓練ではなく、日常生活を楽しくスムーズに行うこと、そして健康を保つことを目的にしました。「訓練(トレーニング)」よりも「しつけ」と表現した方が相応しいかもしれませんが、やったことは訓練と同じく理論があり、先人たちが試行錯誤の結果で得たやり方があり、それを踏襲するので、やはり訓練と表現するのが自然だと(私は)感じています。
馬はほんの少し扱ったことがありましたが、犬については全く素人でした。そんな人間がある程度のしつけがある程度出来てしまい、調子にのりはじめました。
「諸先輩に教えていただいたことや、自分なりに理解したトレーニング方法を多くの人に教えてさしあげましょう!」と。
届かない
しかし何故か私の言葉が届かない。熱心に話を聴いてくださりしつけ教室にも通ってくださった人もいました。しかし私の言葉が相手の心まで響いてくれたと感じられないことが多かったのです。
その理由を考えた結果、
・私ほど時間をしっかりとれない
・身体能力の違い(犬を見たり、犬の動きにあわせて対応したり)
・(人や犬の)体に関する基本的な(医学・獣医学の)知識の違い
・そもそも「犬とは」の基本的な考え(感覚?)の違い
他にもあったと思いますが主なところはこんな感じだと思います。
私が選んだ部分
時間がとれなかったり、身体能力や知識に関しては、プロにお世話になればどうにか補えることもある。
基本的な知識(つまり情報)も各自どうにか出来るかもしれない。
しかし当時の日本も今も日本も「犬とは」の基本的な考え(感覚?)の違いを埋める情報、方法に乏しい。日本人が犬をどんな動物、生き物と感覚的におもっているか。今日本に多く暮らす「洋犬の純血種」と呼ばれる犬達がどのような考えで、それらの姿・気質になったのか。それら犬達とより自然に過ごすには、犬をどう理解すればいいのか。
ここまで考えて、ふとおもったことは「犬と暮らすためにこんなに色々なことを勉強する必要を全ての飼い主に求めることは無理。犬との暮らしってもっと気軽なもののはず」。
そこで「では出来るだけ手軽に犬と心地よく暮らせるようになるには最低限何を知っておけばいいのか?」を考えた。
その答えが「犬とはどんな動物か」それを知ること。
自分はその理解の助けになる情報提供を選んだのです。
昔の動物愛護活動の話からすることにした
話す内容を考えた時、具体的な個別の内容ではなく「犬とは」を伝えねばと考え「日本人が犬をどのように見てきたのか」からにするべきと考えた。
そこから、今迄の動物愛護活動の話をすることにした。
まず、明治からの動物愛護活動を調べてみれば日本人が犬に限らず身近な動物をどのように見て感じ(当時の人たちが)今後どのようにしてゆきたいかが分かり、私も勉強にもなるし広く伝えることが出来ると考えた。
やってみると「時代が違う」と思うことしばしば。明治の頃の話だと牛や馬のことがよく出てきます。今はもう町中に牛馬を見ることはありません。少し時代が進むと犬の話が多くなります。これが今と(100年以上の隔たりがあるので)具体的なことが違う。日本にも狂犬病はあったし、獣医学の進歩も全く違う、フードやグッズなども違うし、そもそも人間の衣食住も違う。
100年以上前から7~80年くらい前の話になるので世の中は全く違います。しかし、日本人の「犬とは」の基本的な考え(感覚?)はそれほど変わっていないのでは?、と感じるようになりました。
現在、欧米に倣って動物福祉を基に考える動物愛護活動や法令の整備などが進められていますが、倣っている欧米社会での「犬とは」の基本的な考え(感覚?)が今の日本とは違うので、先に進めないことを感じています。
例えば、法律で決して軽くない最大量刑(五年以下の懲役又は五百万円以下の罰金)が定められていても不起訴、執行猶予、罰金程度で終わることがほとんど。
余談)「五年以下の懲役又は五百万円以下の罰金」は重いのか
これは動物の愛護及び管理に関する法律の第四十四条に書かれている。「愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者」に対しての刑。
昭和49年に動物の管理及び管理に関する法律が施行されるまで、動物の虐待は軽犯罪法第二十一条だった。
軽犯罪法は今もあり、幾つもの行為が羅列され、それらに該当するものは「拘留又は科料に処する」となっている。
拘留や科料は(当たり前のことですが)刑法で定められている。
拘留は「一日以上三十日未満とし、刑事施設に拘置する」、科料は「千円以上一万円未満」。
軽犯罪法に比べれば、刑の最高は重いし、そこだけ見れば他の罪に対する刑と比べても軽いとは思えない。しかし(動物の愛護及び管理に関する法律のみの場合)実際の判決は(重い刑が当然と思われる犯罪でも)懲役一年くらいで執行猶予がつく。イギリスなども同程度であるらしいが(有期・無期があるらしいが)飼養禁止命令もあり再犯防止策になっている。日本にはそれがない。
「狂犬病予防法」関連の記事に行き着いた
明治からの話をみてゆくと明治の内に犬中心の話になり、野良犬(飼い主がいない放浪している犬)の対策になる。それは狂犬病対策でもあり、その関係の話が多くなってゆきました。
そして気付いたことは、狂犬病対策は狂犬病予防法を軸として今も繋がっている。
日本は長らく狂犬病の国内感染がありませんがその理由は、一つは島国だから、もう一つはこの法律が機能しているから。
狂犬病対策は狂犬病予防法以前からされています。条例や法律で行われていましたので、それを制定・改正するにあたっての資料が残っています。それらを読むと「あれ?、犬に対する感覚は今とそんなに変わらない」と感じることが多々あるし、狂犬病という病気を(少し勉強すれば)今日本に入ってきたら、を想像できる話なので(狂犬病の脅威があった)当時と(長年国内感染がない)今と比べ易い。
これならば読んでいる人に身近なことと感じていただけるだろう。そのような考えで狂犬病予防法をしっかり扱おうと考えた次第です。
それで「日本人の犬に対する感覚」が変わるの?、と不思議に感じるかもしれません。
今までも似たようなことをやってきた経験から、個人の心に直接響くのではなく、私が書いた情報を(つまみ食いでも)読んだ人が「犬を理解するには可愛いや可哀想だけではなく知識が必要」であることに気付き、その周辺の知識を少しずつ吸収できれば、その先は各人が「犬に対する感覚」を変えるのではなく高めることが出来ることになります。
私がやっていることは誰からも有難がられることはないでしょう(ほんの数人の方は理解してくださっていますが)。それでいいのです。今の世の中、今まで誰もやっていなかったことに価値があると思われると、面倒なことになることが多いですから。
noteに書く前から別の場所で狂犬病対策関係のことを書いています。それを始める前と今とでは、SNS上での(狂犬病対策に対する)議論の仕方に変化を感じます。基本的な資料を基に書き込む人が増えたのだと想像しています。
それは、人が犬を管理していることを感覚的に理解することでもあります。これを理解する人が増えるだけでも日本人の犬をはじめとする身近な動物に対する感覚は変わると考えています。