狂犬病予防法(昭和25年成立時)/ 第一章 総則(狂犬病予防員)第三条
昭和25年に出来た時の狂犬病予防法です。今のではありません。
この条文を初めて読んだ時、ここ「総則」には全体のルールを書くべきであり、特定の職員(狂犬病予防員)のことなんて書くべきではないのでは?と違和感をもったものでした。
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(※條を条に直したり、当時の文字と違う書き方をしています)
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「狂犬病予防員」という職員さんのことが書かれています。「そんなに大事なことなの?」と今(令和)の時代では感じてしまいます。しかし、現在の狂犬病予防でもここは変わっていません。
今まで読んできた内容から推測できることは「公共の福祉」に反した場合、基本的な権利を制限できる立場にあるからだろうと推測できます。
当時の狂犬病事情もあったようです。現在は科学も社会制度も進歩していますが、よく分からない病気であり暴露後の対応も慎重というか微妙である部分は、今でも残っています。そのような特殊な病気を現場で対応する立場なのではっきりさせているのだと思います。
「暴露」という言葉については、「4.体に入らなければ、毒にはなりません -暴露(ばくろ)と暴露量(ばくろりょう)-」@独立行政法人製品評価技術基盤機構 を参考にしてください。
条文を読んでみましょう。
狂犬病予防員を任命する
そんなことわざわざ法律にしっかり必要があるの?、と思ったものです。では、以前はどうだったのか?
狂犬病対策として、予防注射の研究はまだ完成されてるという状況ではありませんでした(今でも疑問を持っている人も多いし)。なので出来ることは狂犬病とおもわれる犬(ウィルスを検出して特定することは今でも難しいです)を見つけては処分します。その他できることとして、感染拡大しないように「出来るだけ自由にしないでね、放さないでね」とお願いする程度でした。
人間に感染し気付かずに発症してしまえば命はありません。現場で対応する人は命がけです。市民の命を守るために自分の命を危険に晒していたのです。
「とても大変な仕事をしている人だから」としっかり示すことにも意味があるのかもしれません。
身分を示す証票を携帯・呈示
これも法律に書くほどのことではないのでは?、と感じてしまいます。
しかし(先にも書いた通り)基本的な権利を制限する仕事をするのですから、この身分を騙れば「私は予防員だからお宅の犬を持っていきますよ」と犬さらいが出来てしまいます。
後の方の条文を読むと、個人への制限や指導だけではなく、他の職員や獣医師への協力を求めることが出来、協力を求められた側は「拒んではならない」とされています。
責任があり多方面に協力していただく(強制力がある?)立場なので、身分を証明する必要があるのだと思います。
以前は誰が?
この時(昭和25年)狂犬病予防法が出来ましたが、以前はこのようなことを誰(どのような身分の人)がやっていたのか。
以前の法律は、大正11年に成立した「家畜伝染病予防法」(字は昔の字で違います)で対応していました。その中の第二条の中に
とあります。
「警察官吏」又は「家畜防疫委員」に届け出ると書かれています。この法律(大正11年の家畜伝染病予防法)を読み進めると、この二つの名前が同様の形式で何度も出てきます。
警察官吏は現在で云うところの警官のことですが、家畜防疫委員に付いては以下のように定められていて、獣医師でなくてもよい。
当時(狂犬病予防法成立以前)の取締り
当時、狂犬病に感染した犬に対応(捕まえたり処分したり)するのは、主に町中を警邏する警察官吏(警官)だったのです。
警察官であれば市民も、基本的な権利を制限されることに「そういうものだよね」と納得できるし、制服などからも「警察の人」と分かったことでしょう(狂犬病予防法第三条 2 と同じく、家畜防疫委員がこれを行う時は身分を証明するものを携帯し呈示する必要がある)。
ちなみに、警察制度は明治のはじめにできましたが(現在の警察官を)羅卒と呼んでいたとか(交番・駐在所の歴史 @ 平成16年警察白書)。
当時の狂犬病対策について調べてみると、以下のような内容が幾つも出て来る。(主な参考ページとして、わが国における犬の狂犬病の流行と防疫の歴史 6 @ わが国における犬の狂犬病の流行と防疫の歴史 @ 人と動物の共通感染症研究会 を紹介しておく。)
東京府では明治の初期から犬に飼い主の住所氏名を書いた首輪を付けることとされていた(畜犬規則~畜犬取締規則)。
狂犬病発生の都度報道し、住民に注意喚起し、飼い主または警察官は狂犬病の犬(検査では分からないのでそれらしい症状の犬)は処分した。野良犬状態の犬は飼い犬であると分かる首輪や札が無ければ(はじめのうちは全て駆除していたが)捕らえて檻の中で一週間様子を見る(狂犬病の犬、その兆候のある犬は処分)。
それらしい犬を見つけては駆除していた当時、それに反感をもった市民が野良犬に偽の首輪や札を付けたことから「犬税(地方税)」を納めないと駆除の対象にすることとした。
当時のことを、令和の時代から想像してみる
占領される以前の日本には獣医師は少なかった。町中には荷物の運び手として多くの牛馬が使われていたことは、以前、日本における動物愛護運動の始まりのところでも触れたが、それらのほとんどは獣医師に診られることもなさそうなことは、該当記事を読めば想像がつくだろう。
その少ない獣医師も馬をはじめとする産業動物を主に診る先生たちであったことをご存知の方も多いとおもう。
つまり、犬のことに詳しい獣医師はとても少なく、町の家畜防疫委員になることは稀であり、狂犬病の対応にあたっていたのは獣医学的な知識に乏しい(今で云うところの)警察官だった。
そもそも、暴露すれば命の保証はないので、高度な犬の知識よりも「野犬の扱い」が必要とされたのだろう。
余談になるが、当時の暴露後ワクチンにより重度の後遺症が残ったり、命を落としたりする人もいたと聞く。
今の科学が発達し社会秩序も進歩している現在から考えると、狂犬病予防法制定以前は予防注射も普及していなかったので、狂犬病の疑いのある犬と対峙することだけでも文字通り「命がけ」でした。
その当時でも警察によって飼い犬は管理されていましたが、制度として単純でした。それが、1950年(昭和25年)成立・公布・施行の狂犬病予防法により、現在のかたちに近づき始めたのです。
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長くなり過ぎたので、この辺りで終わりにします。
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