『傍観者という加害者』ー私の表現ー
2017年から、日本人集団の大人のいじめが始まる。
2018年、私への暴力を認識する。ぼっち選択をする。
2019年、誰が?なぜ?なのかが分からず、どうすることも出来なかった。
2020年、息子誕生。暴力は止まず、youtubeにて、声をあげる。
2021年、息子1歳の年。社会的孤立が進みだす。noteへの表現開始。
2022年、息子2歳の年。SOGIハラスメントを知る。
2023年、パンセクシャルを自認。私不在のまま逆拡散が蔓延。
2024年、
2月 さらに、オンラインを含む身勝手なSOGIハラスメントの逆拡散。
4月 ゲロゲロ♫言い訳により、典型的な大人のいじめの逆拡散
5月 現在の全体像を逆拡散で知る。『間抜け』という言葉。
6月 洗脳感染された蛙、蟻ら。『隠蔽』という意見。
7月 『私』が、問題ではない。単なる典型的ないじめが、暴力犯罪レベルまで達していることが認知され、『傍観者という加害者である』。この私の意見が理解され、賛同された。
『傍観者という加害者である』
以前、『間抜け』という言葉に込められていた私の気持ちと、今後の表現に関しての葛藤をここに残してみた。⇩
結果、私は、『今』は、
『間抜け』という言葉を失いたくない。。。という私の気持ちを尊重することにした。
今回も同じように、『傍観者という加害者である』。この私の表現に込められている私の気持ちと、今後の表現に関しての葛藤をここに残してみようと思う。
あなたらの選択
私は、いつしか『私に起きていること』の中で、『傍観者は加害者である』と言い始めた。
あなたらに私との対話をとる機会は、この長期の間でいくらでも作れるチャンスはあった。私も、私なりにあなたらへ問いかけたし、呼びかけたし、警告もしたんだ。
私への暴力のエスカレートが。。。奇妙な逆拡散が進む。。。
それでも。。。
私の声を聴く者が私の目の前に現れることはなかった。。。
同調と他責。。。
それらは、私の選択範囲ではなかった。
それらは、あなたらの選択。
だから、私は、『傍観者は加害者である』と思うようになったんだ。
2018年にぼっち選択をしたにも関わらず、 あなたらは、『傍観者という加害者』になる連鎖を繰り返した。
それにより、暴力は継続。継続。継続。暴力状況はエスカレート。逆拡散。逆拡散。逆拡散。
あなたらのその選択は、この起きてしまった奇妙で悲しい出来事。その流れに大きな影響を与えていると私は、捉えている。
言い換えると、あなたらには、大きな影響を与える力が、動かす力が、その流れを変化させることのできる力があったのだ。と、あなたらに伝えたいんだ。
私は。。。そのあなたらの力で、あなたらが起こしたこの状況から、助けて欲しかった。。。
私のこの表現は、『あなたらの選択』によって、生まれた表現なんだ。
『傍観者は加害者』から『傍観者という加害者』へ
私にとって、この『私に起きたこと』への経験上、
数の多すぎる傍観者と加害者の境目を、はっきりとした線で区別をつけることができない状態が私の中にはある。
なので、『傍観者は加害者』という断定的な表現になっているのかもしれない。
だけど、今は、超絶無駄な対立を避けるため、断定的な表現ではなく、いじめ暴力犯罪を経験した一意見として、表現できたらなー。と思ってる。
それが、『傍観者という加害者』という表現に変わった。
基本的に傍観者に対しての考え方は変わってはいないし、うまく伝わるか分からないのだけど。。。
ちょっとずつ、まとめながら、進める。
まず、
『傍観者という加害者』この考え方について触れていく。
はっきりとした線で区別をつけることができないでいる理由。
そもそも、どこで区別できるのか分からない。
暴力をひたすら受けるのみで、私は、あなたらとの接点がないのだからあなたらのことも。その線も。分かるわけがない。⇩
何度も言ってる気がするけど、私が、それらを区別することのできる材料がないんだ。
では、
『傍観者という加害者』これを表現することについて触れる。
いじめ暴力犯罪を経験した一意見として、表現したい理由
それは、この街に来たばかりの私に起きた、同郷の日本人による奇妙で悲しい出来事。それを長期間に渡り経験した私の気持ちを尊重してあげたいから。⇩
私のこの気持ちは、実際に感じた詳細でリアルな偽りのない気持ち。
その気持ちを私は、蔑ろになしない。大事にしてあげるんだ。
次は、
『傍観者という加害者』これを表現することについての思いに触れる。
私を守るため
『傍観者という加害者である』この表現への私の思いは、
今後、もしかしたら、変化するかのしれない。し、しないのかもしれない。
分からないけど。
『今の私』には必要な表現なんだ。
なぜ、あなたは、批判を受けている!と感じているのか?
その者らは、私のその一意見を聞き、私から批判を受けている!と感じてしまうのかもしれない。。。どう思う?
んじゃ、批判を受けている!って感じるって事は、どういうこと?
それって、痛いとこ突かれた?って事なのかな?
その者らの状況、環境、立場も知らないし。。。
人数多い、それぞれの者の感覚を分析する気はないけど。
まぁ、違うーーー!って、認められない者もいるにしろ、
私の表現である『傍観者という加害者である』。
この広範囲で、長期間にも渡る暴力のエスカレート、逆拡散の状況下の中で、私との対話を選んだ者はいなかったのは確かなこと。
『傍観者という加害者』。これを、あなたらが、あなたへの批判である。と感じ、捉えたのだとしても、それは、あなたがあなた自身の中で選び出した答えであって、私は、そこにはいない。
何度も言うけど、傍観者と加害者を区別できないほど、私はあなたらを知らないんだから。『傍観者という加害者』。これを、あなたらがあなたらへの批判と感じ、捉え、どう受けとろうが、私にとっては、どっちでも良いわけ。
ましてや、あなた個人を特定なんてしてるわけじゃない。し。
あなたらが、そう感じ、捉え、受け取って、あなたがあなたらで盛り上がる分には、それで良いんじゃないかな。
そんなあなたを避けるため
ということで、あなたらが勝手に盛り上がっちゃてる分には、どっちでも良いのだけど、
私は、『今の私』からは、あなたらを遠ざけてあげていたい。
その『傍観者という加害者』。あなたの存在を、私の身近にウヨウヨさせないよう物理的にも。
その『傍観者という加害者』。あなたの感覚を、私の心にベッタリと近付けさせないよう心の距離的にも。
離していたい。
『今の私』から、その者らが離れさえしてくれていれば良い。んだ。
今の優先は私の心
それは、私の心を守る為。
実際のその環境状況は変わってはいない。いつでも、私はそこにいなかった。
それが続いているだけ。
この環境状況を作りだしたのは?
『傍観者という加害者』。この表現を作り出したのは?
私は、私に、
私がいるわけでもない別次元の中の、私の選択範囲ではないことに関して、意図的に意識を向けさせたりはしない。
私は、『今の私』に必要なこと。を。
『今の私』を守る為の『傍観者という加害者』。この表現を、私は、尊重する。ことにする。
それでも、
私なりに柔らかく?『傍観者は加害者である』から、『傍観者という加害者』へと変化させて、試みてはみたんけど。。。笑
基本的に傍観者に対しての私の考えは変わっているわけではない。ので、その考えって、伝わってしまうのだろうなー。と思うんだ。
だって、そう思ってるから。
『傍観者という加害者である』。この私の表現に込められている私の気持ちと理由。今後の表現に関しての葛藤と思いをここに残す。
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