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いつも、そばに居たのは息子だった。

2017年から日本人ママ友集団の大人のいじめが始まる。
2020年、8月に息子が生まれる年。私に非はない。私は私。を声にあげる。
2021年、息子1歳の年。なお、声をあげ続ける。
2022年、息子2歳の年。加害者と言語学校が、同じクラスに。
2023年、声をあげて丸2年。声が届き出す。
4月、私への抑制抑圧、暴力が強化。典型的なママ友いじめが証明される。
6月、感謝の気持ちが溢れている。

ー長くなった?けど、これが、息子と私が歩んできた今までです。ー


『育児』と『私への大人のいじめ』

今まで、私は、
私に、理不尽に起きていた約7年間の『間抜けな大人のいじめ』への対処にたくさんの時間を費やした。という自覚がある。
フツフツと溢れる負の感情への対処の時間。
行動し、表現し続ける時間。
自分自身を見つめ直す時間。
その後、私に何が出来るのか?と整理する時間。

それは、息子に、
彼女らが作り出したデタラメな私ではなく、
『私』『私という私』『私という存在』
を知って欲しい!!ということが原動力になっていた。
全ては、私の為でもあった。

それにしても、約7年間っという期間。

言葉の違う初めての土地で、初めての妊娠出産育児の中、
多くの、多くの時間を費やした。。。

息子に対する今までのごめん。なさい。

私は、今までの間、どう息子と向き合っていけていたのだろう?
その時期、この時期、あの時期の記録を、忘れていない今!!に、少し残していたい。と思い、今、表現する。

『初めての育児』と『2020年私への大人のいじめ』

初めての土地での子育て。
初めてのおむつの取り扱い。
初めての授乳。ミルク。
初めての沐浴。
初めての。初めての。初めての。。。何もかもが初めて。

私は、日本では看護師だったので、もちろん、実習で出産にも立ち会ったことがあるし、おむつの取り扱い、母乳に関してだって知識は他の人よりはある。人形でだけど、沐浴も体験したことがある。
母性だって習った。
んだけど。。。

それでも、
それでも、
何をするにも、迷ってしまう時期があったんだ。

あれこれ次から次に訪れる育児イベント。
私の場合は、母乳がなかなか出なかったので、
昼間は、各両乳15分間の刺激搾乳とミルクあげる時間で、
ほぼ時間が過ぎていっていた。

夜は、比較的、息子はよく寝る子だった。っとは思うんだけど、
それでも、夜中は、泣きじゃくって、泣きじゃくって、泣きじゃくって。どうしようもない時もあった。

物音もしない静かだった部屋に、息子の甲高い鳴き声だけが響き渡っている。それが、私には、ぐぅわぁーん、うわぁーん、ぐわぁんと重い鈍いエコーのように、私の耳にまとわり、響いて止まない。

ぐぅわぁーん、うわぁーん、ぐわぁんっと超音波のように響く。
(この感覚、味わったお母さんにしか分からないかも。。。)

息子が泣き叫ぶベビーベットの横で、
呆然と、
体が疲れている?
頭が疲れている?
無。
無。
無。
何もしたくない。。。
ぐぅわぁーん、うわぁーん、ぐわぁん。
座り込んで、耳に鳴る重い鈍いエコーだけが響き渡る別世界空間に、放心状態でいたこともある。
(産後約1か月以降にあらわれる軽いうつ状態だったと思う。)

何をするにも初めての初めてばかりの新生児期から、乳児期。

産後で、体も頭も。。。
初めての育児で、体力もメンタルも。。。ってなってるのに、
こんなに、こんなに、
毎日が、育児イベントだらけなのに、
いっぱい、いっぱいなのに。。。

そんな中でも、フッと、グワっと、
『私への大人のいじめ』に対してへの、その感情が湧き上がってきてしまう私は、消えなかった。

息子が生まれてから、今まで、初めての子育ての中で私が感じてしまっていたこの気持ち。
私の中で沸き上げる、悲しさ。不安、苦痛、悔しさ、怒り。憎しみ。
もちろん、息子に対してじゃない!

『私』を感じる息子

私は、この時期、
『育児』と『私への大人のいじめ』への感情を切り離して考えるように意識して過ごしていた。

もう、その感情を感じないように、
その感情を忘れるよう、何もなかったかのように、
過ごすことは出来ないのだ。と、私は、実感していた。
この育児で多忙な状況でも、その感情を無くすなんて無理だったから。
どうしても溢れるから。
それで、その感情に蓋をすることを辞めたんだ。

私は、私に、
心に引っかかっている事は、無理に捨てなくていい。
ずーっと育児に、専念しなくてもいいじゃないか。
いい。いいんだ。
マイノリティである私のこの状況を悲しんでいいし、
暴力が怖くて不安になって、苦痛を感じていいし、
なぜ?が、訳がわからなくて、悔しくて、
誰に、怒り、憎しみをぶつけて良いのか?よく分からない。
そんな、ハッキリとしない状況に対しての、その感情。
感じていいんだ。って。

今にも、崩れそうな弱っている私を受け入れた。



その代わり、
『育児』と『私への大人のいじめ』への感情を切り離す。
育児は、初めてなんだし、肩の力を抜きながら。
溢れるその感情は、息子の前では。。。出さない。
自分の中で、オンとオフを課していた。

だって、息子は、産まれたばかり。
私が、産まれたばかりの息子へ感じているのは、そんな、
そんな感情じゃないから!!

『私の育児』と『2021私への大人のいじめ』

2021年は息子1歳へ。
私は、youtubeだけでなく、オンライン上でも声を上げ始めた。

この時期から、私への社会的孤立がどんどん進んでいく。

この時の私は、息子を戸惑わさせてしまっていたように思う。

よりにもよって、息子と二人っきりでいる時に溢れ出してしまうその感情。
一日、一人でいる時より、息子と二人っきりの時間が長い。
パートナーは、すごく配慮してくれていたと思う。
それでも、二人っきりの時間は長い。

物理的、時間的に、状況的にも、
『育児』と『私への大人のいじめ』への感情を切り離して考える。
が難しくなっていた。

その感情が溢れ出す。
私への暴力への恐怖。今後も続くという不安。
それに付け加え、自分の時間が大切である私の大切な時間が、子育てにより、失われているような感覚も。

いや!!そんなことない!!大丈夫!!って、自分自身に言いながら、
なぜか険しくなる私の顔。
そんなことを感じてしまっている私を感じさせまいと、
真横にいる息子に、急に、険しい顔からニコリと笑って見せる。
不自然だったと思う。
心からのニコリじゃないから。

私自身が落ち着かず、
息子を、私から突き放してしまっていた時もあると思う。

『私』を感じる息子

その感情が溢れ出す。
状況が動かないことからの無力感。
私にも、こんな時があるんだ!!って、
ひとりになりたいんだ!!って、
あっち行ってくれ!!って、
ほっといてくれ!って、態度を息子にとっていた。と思う。

頭の中で、どうしても、
なぜ?誰が?どうして?って。
私への暴力への苦痛が表に出てきてしまうんだ。

そんな中、
一歩、一歩、転んでも起きて、転んでも、また起きて。
息子が歩き出した。(13ヶ月)
なぐりお絵描きも。(16ヶ月)
はーい!って、お返事も。(18ヶ月)

そんな息子の姿を見て、
私は、全くもって完璧じゃないけど、
母親としてどうか?っとかよりも、
一生懸命、『私』が、
『私』が出来る限りのことをしたらいんじゃない?って思えた。
息子は、すくすく成長してる。
目に見えてわかる。
それでいいじゃないか。って、息子の著しい成長を見て思えたんだ。

『私の育児』と『2022年私への大人のいじめ』

2022年は、息子2歳になる年。noteでの表現開始。
次々に現れるデタラメ情報の拡散。個人否定批判侮辱。
加害者ではない感染者、洗脳された者らの出現と2次暴力。

アウティングスピーカー偽善おばさんと言語学校のクラスが同じになったこともあり、私の感情は、ジェットコースター並みに感情が溢れることがあった。特に、学校へ行く前日は。。。荒れまくることも。
youtube:え”!?あの人と同じクラス!? いじめ再開なるか!?【【あゆぼっち言語学校に行くの巻】】

私は、2020年から声をあげて丸2年のこの年の末に、私への大人のいじめは、SOGIハラスメントであることを知った。
2017年からこれまで、分からなすぎて苦しんだ、なぜ?誰が?どうして?が、やっと分かったんだ。

それを知るまでの間、約6年間。
特に、この6年目は、
声をあげることを継続することが一時、苦しくなっていた時もあった。

声をあげてもあげても、次から次へと、デタラメが。
私への抑制と抑圧が。。。暴力が。。。

私の中で、その感情が溢れ出す。
間抜け偽善加害者と間抜け感染した者への悲しみと怒り。

もしも、改善しないのならば。。。
最悪の事態には。。。
『死』をもって。。。
っと。
声をあげることへの継続を本気で覚悟していた。



私のその溢れ出す感情。



息子の存在。。。



私は、何か良くない影響を与えてしまっているのではないか?
もしかしたら、私は、ここにいない方が息子の為なのか?

私は、息子に姿を見られないよう、叫ぶ。。。

これで良かったんだろうか?
このまま終わらないのだろうか?
私は、ごく普通に暮らせなくなってしまうのだろうか?
息子は、私の子として、誇らしくいてくれるだろうか?
日本という私のルーツが嫌いになってしまわないだろうか?

『私』を感じる息子

そんな中、
この頃には、息子は、成長過程での自己主張期へ。
2語文を話し出し。(26ヶ月)
つかまらずに階段昇降。(29ヶ月)
見守りでおしっこをトイレで出来るように。(31ヶ月)

そんな息子の姿を見て、
成長してるんだ。って。
どんどん、急に、出来ることが増えていく。
昨日、出来なかったことが、今日は、出来る。
今日、出来なくても、明日は出来るかも。
毎日、その成長にすごい!!って思う。

私は息子の著しい成長を目の当たりにする度に、
育児ってのも楽しいな。って思えたんだ。

私、初めての育児。初めての、初めてのって。
何もかも初めてだったけど、いつの間にか、勉強しながら『私の育児』の基礎みたいなもんが出来上がってきていっている。
そう思えた。

『私の育児』と『2023年私への大人のいじめ』

私は、この2023年から、『私への大人のいじめ』というより、視点を変え『私へのSOGIハラスメント』に関してへと声をあげ始めた。
その声に対する更なる抑制と抑圧。
3、4月は、私への暴力がさらに強化されていた時期?だったように思うけど。。。

私にとっては、今まで、だだっ広い道を歩いているだけだったのが、
光が見える一本の道を見つけ、
そこにすぐにでも辿り着くような感じがしていた。

この時期の私は、
『育児』と『私への大人のいじめ』への感情を切り離す。っというより、
私に起きていた『SOGIハラスメント』を、『多様性』という意味で、育児に取り入れていけるようにと意識が変化していた。

私は、パンセクシュアリティであることをカミングアウトした。

2020年から今まで、声をあげることを続けることができた原動力。
息子に、
彼女らが作り出したデタラメな私ではなく、
『私』『私という私』『私という存在』を知って欲しい!!
に繋がることになった。

私への暴力がさらに強化されていたこの時期、息子は、2歳8ヶ月ごろ(2023年4月)。なぜか、パタりっと急に昼寝をしなくなった。
こじつけかもしれないけど、息子は、暴力が強まる周囲の何かを感じていたのかもしれない。
夜もすんなり寝れなくなった。
この年齢の幼児にしては、え?なんで寝ないの?ってくらい。(9時間/日ってこともあった汗)
息子:寝たくなーいい!!って、泣きじゃくり、
ぐずって、ぐずって、ぐずる。。。

私は、息子の横に並んで横になってみることにした。
今までは、ベビーベットだったからってものあるけど、
ベットの真横で、読み聞かせして、おやすみ。って部屋を出て行っていた。

今は、歌いながら、読み聞かせしながら、こちょこちょしながら、息子のお腹を触りながら、私は、息子と同じベットに横たっている。

『私』を感じる息子

私は、そんな息子と向き合う。
家庭から以外で受けるであろう周囲からの影響。そこから溢れ出す息子の感情、感覚、思いなど。
今の私には、見守れるだけの何かが、鍛えられている!!

これまで、私に理不尽に起きていた約7年間の『間抜けな大人のいじめ』『SOGIハラスメント』への対処にたくさんの時間を費やした。
それらは、全ては、私の力になっている。
私の人生、育児にも。

息子と向き合いながら、そう感じる私がいる。

息子と、一緒のべッドに横になり始めて、3週間が経った。
3週間前とは、見違えるほど、私の横で、ぐっすり寝てくれている。

私の感じる『幸せ』を感じ合えているんだよね?^^

『私の育児』と『SOGIハラスメント』


私は、私に起きていたSOGIハラスメントから、
・私の育児に『多様性』という意識
をセクシュアリティに限らず、積極的に取り入れることにしている。

それは、息子が、
『私』『私という私』『私という存在』を知るということに繋がっている。

そして、息子は、
『自分』『自分という自分』『自分という存在』を知るということに繋がっていくのだろう。


これで良かったんだ。
終わる。
私は、ごく普通に暮らる。

息子は、私の子として、誇らしくいてくれる?だろう。
そして、日本という私のルーツを好きになってもらいたいっ。


息子は、日々、成長している。

大人のいじめが始まった2017年の私。
声をあげ始めた2020年の私。
SOGIハラスメントを知った2022年の私。
自分のセクシュアリティを認識した2023年の私。

今の私。を見ると、私も成長していると思う。

息子も私も成長している。

そこで、気づいた。
声をあげ始め、辛い状況にいてもなお、離れず、私を必要とする存在。

いつも、そばに居たのは息子だった。

息子は、私のそばで、私をずーっと見てくれていた。
息子は、私のそばで、私をずーっと感じていてくれていた。
息子は、私のそばで、ずーっと支えてくれていた。
ただそばに居てくれていた。
その著しい成長と、私を呼ぶ声、その笑顔で、私を癒し、元気づけていた。

お母さん。お母さん。お母さん。って、私を呼ぶ。
私の顔を覗き込む。

息子に言いたい。
たくさんのありがとう。

お母さん。お母さん。お母さん。って。
私を。見て呼ぶ。

『私』を感じる息子

私は、どう息子と向き合っていけていたのだろうか?


ははは。
こうやって、その時期、この時期、あの時期の記録を残していくと、
私は、『母親として』なんて、あんまり考えてなかった。
考えれなかった。
それより、息子の前で、『私』『私として』どうあるか?
を重要視していた感じだ。

息子が私の元へ生まれてきてくれたことは、必然だったと思う。

そのままの『私』と、
いつも、そばに居てくれていた。

私が、息子を授かることは、必然だったと思う。

そして、息子を私に会わせてくれたパートナーとの出会い。

それもまた、必然だったと思う。


どう向き合うか?

そのままでよかったじゃない。
そのままでいんじゃない?
今までも。
これからも。


いつも、私のそばにいてくれてありがとう。
私も、いつもそばに居るからね。
ありがとう。
だーい好き!!!




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