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肩書きと建前
みなさま調子はいかがでしょうか,かわむらです。
今日で毎日投稿七日目になります。
私の約四年間の出来事のなかで印象的だったできごとを振り返っては記事にしているわけですが,実際にはなにもしていない日のほうがおおい。
こうやって記事を書いたりしていると,行動力があってすごい,とか,挑戦する勇気があるの尊敬してる,とかとか
有難いことに(お世辞であろうとも)褒めていただくことがそこそこあります。
直近の出来事だと,モデル活動や配信,学部生で結婚したことなどをよく話題に出されますし,少し前だと高校生で自主研究だなんて!と称賛を浴びてきました。
正直,気分は良いです。褒められて損することはないので。そこに嫌味が含まれていようとも,言わせたもん勝ちだ,と思っていたりもします。
それはさておき,実態は「なにもない」んだという話をしておきたい。
改めて,私は現在21歳で,大学を休学中&退学予定の専業主婦です。
夫も私と同じく大学生で,無事卒業ができれば来年度から大学院に進み修士課程1年(通称M1)になります。
私たち家族は,言ってしまえば大学生の同棲状態に加えて,「婚姻届」というちょっとスペシャルな契約書にサインをした同志でもあります。
そんなわけで,私は専業主婦ですが家事を全て任されているというわけでもなく,また夫が稼ぎに行っているかというとそうでもなく,特別役割を決めているわけでもないですが家事は基本的に分担するものとなっています。
それから,専業主婦もちょっと嘘です。
主婦ではあるけど,ニートやら無職というほうが適切かもしれません。
かといって「ヒモなのか」というとこれまた難しい話で,夫に養われているかというとそういうわけでもないので,となると「既婚者無職」とでも表現してみるのが妥当でしょうか。
まあそれくらい,肩書きっていうのはアテになりません,実態を表しているようで表せていないことがよくあるので。
それでも肩書きが欲しいな/必要だなと思う場面はしばしば訪れます。
就活なんかはわかりやすい一例だと思いますが,在野で自主研究をしようともなれば学位を要求されます。必須というわけではありませんが,事実上学位(修士号なり博士号なり)を持っていないと信用してもらえないという問題が存在します。
シンプルにそれくらい持っていないと,知識的に不十分なのでは?という側面も当然あります。
無論例外はあるわけですが,大して信頼を置いていない人間から研究協力の依頼をされたとき,ひとまず肩書きを見て信用して良いか判断するのは極めて自然なことです。
肩書きというのは学位に限らず,これまでの研究歴,例えば共著含めpublish済みの論文があるかとかも一つの判断材料にはなりうるでしょう。これもまた,分野にもよるでしょうが。(数理分野に比べたらうちの分野は圧倒的に論文より学会発表ファーストな気がするので)
ちがうちがう,私は研究の話をここでしたかったわけではなくて,何かしら「肩書き」がある安心感と,それは大してアテにはならないという二つの側面を知ってからがようやく,自分とは何者なのか?という問いに向き合うことができる気がしているのです。
そう考えると,私は「主婦」や「大学生」という肩書きを持ちながら家事をサボっていれば大学にも通っていないので(なんせ休学中なので)となると,私は一体何者なんだ?という話になります。
その答えが存在していない,という現状に耐えかねて,モデルオーディションを受けてみたり,ポートレート被写体を続けてみたり,気象予報士試験の勉強をしたりしています。(こうでもすれば何かをやっている人には見えるでしょう。)
配信活動をしているとよく,リスナーさんから「愛結さんは(肩書きの)情報量が多くて一体何をしている人なのかわからない」と言われることがあります。
答えは単純で,何もしていません。
でもそう答えて場がしらけることを望んではいないし,そんな自分を恥じてもいるから,何かを続ける他なくなってしまっているのです。(そうは言っても休んでる日のほうが多いけどね)
この点主婦という肩書きはかなり便利で,家事をサボっていても身内くらいにしか怒られることはないですし,しいていうなら所謂「若夫婦」であるが故の,精神的に未熟であるにも関わらず(自分だけでなく)家族の将来を見据えて動かなければならないというプレッシャーがのしかかるくらいのもんです。
それもまた,なかなか似たような属性の人間が周囲にいないので,俗に言う「ママ友コミュニティ」のような相談先が存在していないという辛さはあります。だってまだ子育てもしていないし。(暫くはする予定もないし…)
もし「既婚者無職コミュニティ」が存在するのならば喜んで入りたいです,でもネガティブ思考を皆がしていて全体の雰囲気が悪くなる予想が容易にできてしまうので,結局入っても長続きしないんだろうなとは思います。ちょっとした社会運動にはなりそうですが,悪い形で終わってもよいという覚悟が要求されそうです。
私が自分が一体何者なのか,という問いに答えられないが故にやっているアレコレですが,それでもその``選定だけは’’自分の気持ちに忠実にしている自信があります。
無職の私には,おそらく周囲の人たちが羨ましく思うくらい時間が有り余っています。
生き物である以上,寿命というのがあるので,その時間が有限であることは他の人とも共通しているので,何もしていないぶん寿命を無駄にしているといえばそうかもしれません。
毎日暇すぎて空白の時間に何を埋めていくかで頭を悩ませています。予定に追われることはありません。
特に,大学を今年度で退学するともなると,来年度以降どうやって自己の存在を世に残していくか,みたいなちょっと重めの悩み(闇?)も生まれてきたりします。
一応,考えていることがないわけでもありません。でも,ここに書いて高らかに宣言できるほど強い意欲があるかと言われると,悩ましいところです。正確には,強い意志を持って始めたことは大抵精神的負荷のかかるものになりがちで,完璧主義と怠惰のダブルコンボで転げ落ちることがよくあるのである程度は気持ちをセーブしていかなければならないという自己認知(?)です。
何が書きたかったのかよくわからなくなってきましたが,2025年の目標でいくつか掲げているものは本気で成し遂げたいものでもあれば,暇つぶしや自己防衛としてのタスクないしノルマを設けているだけでもあります。
そんなに生きててやりたいことってあるかしら。ひとまず私は積読している本達を読み切るまでは生き続けてみようかな,という所存です。
今後とも何卒。
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