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それは「麻」か「縄」か「蛇」か?~唯識論~

毎月2日は喜光寺縁日。

いろは写経を納経しております。

今月もお写経仲間のお姉さんたちと共にお参りしてきました。

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山田法胤ご住職とパチリ。
ファンクラブ結成(勝手に)しておりますので、お写経後はたいていお写真をお願いしちゃいます。

墨を摺り、小筆を持って書き進める
「いろは写経」
は、私の心が穏やかになる時間です。

その後は、法要に参列し、山田法胤ご住職の
「私が考える唯識」
という法話を拝聴します。

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今月は
「物を見る見方」
について。

難解な唯識を、日常生活に落とし込む形で教えてくださるご住職。
お話がとてもお上手です。

「麻のひもが落ちているとしよう。
ある人は
『麻だ』
と認識し、ある人は
『縄だ』
と認識し、ある人は
『蛇だ』
と認識する。
同じ物を見ても、認識は人それぞれ。
あるものをそのまま見るのではなく、自分の心の状態で見る」

同じ物なのにね。
8年前、オリンピックの誘致に成功したときは、オリンピックとはなんとも華やかな希望に満ちた存在だった。
今となってはオリンピックはすっかりお荷物のようだ。
オリンピック自体は何も変わっていないのに。

麻を「麻」として見るのは「性境」といって、事実として見ること。
心の性質に支配されない。

それに対して「独影境」は性境と反対で、文字通り認識。
麻を蛇として見えちゃったりすること。

でも、この「独影境」はマイナスイメージだけでなく、プラスもある。

何物もない未来に向かって理想像を描くという一面だ。

だから、事実を事実として捉えることは大切だけど、それだけでは発展しないよね。
今は存在しないけれど、
「こうなったらいいなー。こんなことができたらいいな」
と考えることでいろんな発明品が生まれてきたのだと思う。

だからこそ、心の中で描く世界はとても大切なんですよ。

心を磨いて、あるものをあるままに見ることとともに、
明るい未来、まだ見えない未来を想像することで、世の中は発展していくのです。

腹立つ人がいるのではないのですよ。
自分の心の中に腹の立つ心があるわけです。

こんなことをお話くださいます。

ご住職の法話を聴いていると、生きるのが楽になってきます。

あなたの目の前にはどんな世界が広がっていますか?
それは、あなたが見たい世界なのです。

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境内の睡蓮がキレイ。

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ご住職が「アマビエ」のお札をくださった。

いろんな思いが詰まっています。


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