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『人間はつらいよ』嘘の編
渥美清さん主演の映画タイトル「男はつらいよ」のサウンドトラックを頭の後ろで流して頂きたい。
年末年始ひどい風邪を引いて寝込んでしまった。
人間として生きるというのは、本当に辛いなぁとつくづく感じた。
風邪くらいで何だと、思うが、私は痛みに滅法弱い。この一週間寝込んだので、体力、筋力も落ちた気がして、痛みに加え「失うものへの恐怖」が襲う。
普段、毎朝五時半に起床して、30分近所を歩き、帰宅後40分のピラティス•ストレッチ。スクワットや腕立て伏せ30回もしていることは、自分なりの誇りだ。その習慣があったばかりに、「私はこのまま衰えてしまう」と恐怖が襲う。
車椅子の夫に家事を頼るわけにはいかない。
夫への不安も増す。
「こんな、辛い思いしているのに、もっと面倒みておくれよ。普段、いつも面倒みてやってるじゃないか。」
この「みてやってる」というのがキーワードだ。
「健康でなければ、この夫の妻は務まらない。」
「今は、まだ50代でいいとして、70代になんてなったら一体どうなるんだ?」
「わたしの面倒は、一体誰が見てくれるんだ?」
わたしは、自称アンバランスベジタリアン。かなり偏った健康食主義者。
日本にいたなら、どんなものが食べたいかなぁ、と色んな食事が頭に過る。
寄りによって正月シーズンだから、YouTubeで色んなものが目に入る。
人間として生きるとは本当につらいことだ。正確に言えば、「自分が人間と信じて生きるのはつらいことだ」
殆どの人が自分は人間だと思って生きているから、こんな悲しい話は無い。
きっとみんな辛いに違いない。
ACIM(奇跡のコース)のKen Wapnickのレクチャーで、当時80代後半のある女性が、彼女の恐怖は老人ホームに入る事なの、と言う。そうならない為に、普段、必死で運動をしたり、ボケないように絵を描いたり、習い事をしているという。施設に入るくらいなら、死んだ方がましだという。
それに対して、Kenが、元来の恐怖は、God/神へ戻る事への恐怖であり、あなたの場合は、老人ホームという場所に投影されているだけである。
あなたに出来るのは、「ああそうなんだ」とただ見るだけでいい。
絵が描きたければ描けばいい、ただ、そうしながら、自分の本当の恐怖は老人ホームでなく、本当のホームに帰る事なんだとただ気づいていればいい、という。
この女性は、わたしにはもう時間が無いのよ、というが、「時間なんて始めっからあるものじゃないんだよ。Holy Spirit/愛・慈悲が、腕時計見ながら辛抱強く待ってくれているなんて思わなくていい。」とKenが笑って言う。会場もみんな笑う。
基本的に、程度こそ違えど、彼女と私の恐怖は同じだ。だから、どうする?
True Forgiveness/真の赦しをやるしかないのだ。「やること」があるとすればそれしかない。
もう一点、時々忘れるが、彼のレクチャーで Don't Believe The Lieというのがある。つまり、偽物の自我がつく嘘を信じるなというもの。偽物自我が感情を揺さぶって、嘘を付くのは最高に上手である。
この嘘は、一般的に我々が呼ぶ、「気分」として表れるという。気分を信じるでない。嘘を付来ますぞ。
しかし、わたしは信じてしまう。
そういう場合は、信じてしまった後でもいい、「ああ、すっかり騙されてしまったなぁ」と優しく笑ってみてあげるのだ。
そうするだけで、1000年は節約出来るという、から嬉しい。
つまり10回程度の輪廻転生を節約出来るという意味だ。
そうして、何もかも慈悲の炎に焼いてしまったら、後は野と慣れ山と慣れ、とリラックスして構えておけばいい。
「人間はつらいよ」とは、巧みなエゴの嘘である。